心に刺さった言葉をスクラップする-01
出会いがあれば随時更新。
明石悠佳さん
https://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m005347.html
「なるべく締め切りには余裕を持たせるようにスケジューリングする」「複業の量を無理のない範囲で調整する」などといったぼんやりした決めごとでは、きっとまたキャパオーバーの仕事量を詰め込んでしまうことは明確でした。ただでさえ断りづらい性格をしている私には、しっかり実行できる具体的な対応策が必要だ、と思いました。
そこで私が行ったこと。それは、「時間の使い方」に対する「理想」と「現実」のギャップを埋める作業でした。
「すべての問題は、理想と現実のギャップから生まれている」。これは、サイボウズが大事にしている考え方のひとつです。この考え方が私は大好きなので、「時間がなくてしんどい」という今回の問題に対しても、何にそんなに時間を使っているのか、どんな使い方だったらしんどくならないのか、自分の「理想」と「現実」を見つめ、ノートに書き出すことにしました。
土屋光子さん
https://soar-world.com/2018/01/11/mitsukotsuchiya/
悩んでいたとき、病院に行っても解決できなかったのですが、友人の一言に救われました。「あなたは髪を抜くことで安定を保てているんだから、そのままでいいの」って。そう言われて、なんだか開放された気持ちになったんです。発散の方法は、お酒を飲むだったり、遊園地で絶叫するだったり、人それぞれです。私にとっては、それが髪を抜くことだった
小林エリコさん
https://www.amazon.co.jp/わたしはなにも悪くない-小林エリコ/dp/4794970897/
わたしはなにも悪くない
あかしゆか さん
https://note.mu/akyska/n/n27321d2d4c6f
「書くこと」は、自分の感性をていねいに磨いていく行為、だと思う。へたくそでも、うまくなくても、誰かに向けた文章じゃなくても、たとえ自己満だったとしても、自分はこうやって世界を見ているんだ、ということに向き合うこと。
熊谷晋一郎さん(一部、鈴木悠平さんによる補足文章)
https://soar-world.com/2018/01/30/conference2017_watashi/
ここで残念なお知らせがあります。それは、身体にも歴史にも、可変性には限界があるということです。「わたし」という存在は、どこまでも無制限に変わっていけるというものではなく、有限なんです。
脳性麻痺で車椅子に乗っている人が、近くにエレベーターが無いゆえに自由に移動できない。この時に「私の足が悪いから」と考えるのが医療モデル、「エレベーターを設置していない社会の側が障害をもたらしている」と考えるのが社会モデルだ。
“無限で抽象的な不安”が、“有限で具体的な課題”に
働く現場では、誰もが忙しいなか、できることとできないこと(≒障害)を抱えている。だからこそ、失敗を許容する組織文化と、何かが起こった時に失敗の責任を取るというリーダーシップが存在すること。この2つがあってこそ、一人ひとりが「わたし」の持てるものを差し出し合いながら、チームでクライアントに向き合うことができるようになるのだという。
「わたし」という存在は、わたしがたった一人で考え続けてもいっこうにその正体が見えてこない。「あなた」という他者と隣り合い、お互いの共通点や違いを見出すことを通して、はじめて「わたし」の輪郭が浮かび上がってくる。
「回復とは、回復し続けること」
「回復」というと、何か一つのゴールがあって、そこに到達することが回復であるとイメージしがちですが、そうではなくて、少しずつ回復していくプロセス自体が回復なんだと、そういう考え方をされているんですね。
鈴木悠平さん
https://note.mu/yuheisuzuki/n/n817e23fba293
できないこと、できなくなったことはやっぱりあるのだけど、それを諦めることは決して停滞ではないはずで、自分の限られたエネルギーを一番有効に振り向けるためのプロセスなのだと思う。
鈴木悠平さん
https://note.mu/yuheisuzuki/n/n20ede20e44a0
マネージャーだから、とか、若いから、とかではなく、今たまたま僕にそういう「順番」が回ってきた。それを、今たまたま余裕のあるみんなに、支えてもらっている。
だからまた別の人に「順番」が回ってきたときには、今度は僕が、とも思う。
妊娠・出産・子育てが大変だという時期もある、心の病気になってエネルギーが落ち込んでしまうということもある、交通事故で手足が不自由になることもある、恋に破れて涙が止まらないってこともある、うっかり季節の変わり目に夏風邪こじらせちゃうこともある、若さと過剰さをこじさせてもやもやモラトリアム袋小路に至ることもある。
その時にたまたま、相対的に弱っている人がいて、相対的に余裕のある人がいて、その中で一緒に長くどう働いていこうか、お互い様でどう乗り越えていこうかって話。