板まんだら事件。それって法律で解決できるかな?
今回は、通称「板まんだら事件」(最判昭和56年4月7日)について。
御本尊「板まんだら」を祭る宗教施設の建設のために募金として、540万円を寄付した(元)会員が、のちに「板まんだら」は偽物であり、寄付行為には要素の錯誤があったとして、寄付行為の錯誤無効(民法95条)及び不当利得の返還請求(民法703条)を主張した。
≪ポッドキャスト版 やわらかいほうのごたく≫
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論点:板まんだらの宗教的価値(があるかないか)について裁判所が判断できるか??
【結論】できません。法律上の争訟にあたりません。
1.裁判所がその固有の権限に基づいて審判することのできる対象は、裁判所法3条にいう「法律上の争訟」である。
2.当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であつて、かつ、それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られる。
3.したがつて、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争であつても、法令の適用により解決するのに適しないものは裁判所の審判の対象となりえない、というべきである。
裁判所法3条(裁判所の権限)
裁判所は、日本国憲法に特別の定めのある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する。
お金を支払っていて、返してほしいと訴えているので具体的な権利義務ないし法律に関する紛争なのですが、その原因となった「板まんだら」について宗教的な価値がないから要素の錯誤であり、不当利得にあたるということを裁判で決める(審判権を行使する)ことはできないとしました。
「法律上の争訟」に当たらないのでそもそも裁判できません。ということです。
(参考)
要素の錯誤があったか否かについての判断に際しては、信仰の対象についての宗教上の価値に関する判断が、また、宗教上の教義に関する判断が、それぞれ必要であり、いずれもことがらの性質上、法令を適用することによつては解決することのできない問題である。
この板まんだら事件は、よく「司法権の限界」と混同されて引用さられるのですが、実際は「審判権の限界」ですね。引っかけで試験に出すことはないと思いますが・・・
ちなみに、司法権の限界は自律権や統治行為、裁量、部分社会の法理などがあります。今後お話できるかな。
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