朝から食べるモノじゃない。 #2000字のドラマ
薄く目を開けて、今何時だ、と思う。
慌ててスマホを見ると八時半過ぎで、飛び起きた瞬間、『(日)』の文字が目に入り、はああ、と息を吐いて再びベッドに倒れ込む。
休みだ。今日は休みだった。
まだ少し動悸が早いのを感じながら、僕もすっかり社会人だなあ、などと考えてしまう。昨日は休日出勤プラス予想外の残業で、帰ってきたのは日付が変わってからだ。そのまま倒れ込むように寝てしまっていた。
疲れが取れていないのかあまり頭は回らないが、空腹だけは感じる。僕はノロノロと立ち上がった。
ふとワンルームの中央に置かれたテーブルの上に目がいく。メモだ。
『遅くまでお疲れ様。朝ごはん、用意しておいたからね。ご飯は炊いてあります。おかずは冷蔵庫のチルド室です。よく温めてから食べてね』……彼女の筆跡だった。
助かる。確か家には何もなかったはずだし、コンビニへ行くのも面倒だ。
キッチンに入ると、冷蔵庫のドアを開ける。それにしてもなんでチルド室? と思いながら、おかずを出そうとチルドの引き出しを開ける。
――そこには赤白の鮮やかな霜降りステーキ肉が鎮座していた。
「朝――ごはん?」
目を白黒させながらそうっとパックを取り出す。鮮やかな赤身にふんだんに挿し込まれた白い脂。ラベルを見ると明らかに高級肉だ。グラム単価……うわ、こんなに高級な肉は食べたことがない。
僕はパックを上下左右にこねくり回す。これを焼け、と言うことだよなあ……。
よく分からないまま、一口しかないコンロの上にフライパンを出す。火をつけて温まってきたところにそっと肉を載せた。
じゅわあ、と脂の跳ねる音がする。
ああ、換気扇を回さないと。腕を伸ばしてスイッチを入れると、ゴウンと音がしてフライパンから上る淡い煙を吸い込んでいく。
美味しそうな香りが立ち上る。立ち上るが――正直、起き抜けの胃には全く優しくない。
トーストと目玉焼きだったり、鮭とみそ汁だったり、朝食ってそういうものじゃないの? と、普段コンビニのおにぎりやパンで済ます自分を棚に上げて文句をつぶやく。まだろくに動いていないお腹に詰め込んだら胃もたれしそうだ。何だって彼女はこんなに脂っこくて重たいものを朝ごはんなんかに――。
――あ。
そうか、これは昨日の晩御飯だ、とようやく僕は気づく。
『たまにはいいものを食べないとね! 明日の晩、楽しみにしててよ!』、一昨日の夜、そう言って彼女は電話を切ったのだ。毎日慣れない仕事と残業でヘトヘトになる僕を元気づけようと、明日、つまり昨日の夜、晩御飯を作ってくれると言った。
やっぱりまだ頭が回っていなかった。こんな大事なことを忘れているなんて。
昨日、結局僕は帰ってこられなかった。彼女は多分、この部屋で一人ずっと僕を待っていたのだろう。僕はまだ肉が焼き終わってないことを確認してから、改めて冷蔵庫を覗く。
普段なら空っぽの冷蔵庫には、奥のほうには盛られたサラダボウル、手前にはコーンスープのパックが収められていた。多分これらが、昨日のメニューだったのだろう。
フライパンに戻って肉をひっくり返す。いい焦げ具合だ。塩コショウを振る。
彼女に申し訳ないことをした。一人でぼうっとテレビを見ながら僕を待っている彼女を想像する。サラダだけは作って、コーンスープと肉は僕が帰ってくる時間を見計らって料理するつもりだったんだろう。『何時に帰れそう』『ごめん、まだ分からない』『そろそろ、どう?』『まだ、ゴメン』『まだ?』『おーい』……短いメッセージのやり取りに、僕は途中からは返信もあきらめて、とにかく仕事に集中していた。
ようやく終わらせ、帰り着いた疲労困憊の僕はすっかり彼女のことを忘れてしまっていた。メモだって、よく考えれば思い出せただろうに、ああ、来てくれたんだ、くらいにしか思わなかった。
火を止めて、肉を適当な皿に載せた。テーブルに持っていき、ご飯とそれからサラダボウルも出す。
脂の乗ったステーキと言う、朝ごはんには『ふさわしくない』、食卓が出来上がる。
僕は食べる前にメッセージを打つ。
『朝ごはん、ありがとう。今から美味しく頂きます』
スマホをテーブルに置くと、ほとんど間髪入れずに返信が来た。
『良く味わって! それで今日は元気になって、昼から私とデートすること!』
今日はそんな予定ではなかった。個人的に買いたい家電や本、それに時間があれば彼女の趣味に合わない映画も見ようと思っていた。
でもそんなものはすべてキャンセルしよう。
『分かった。何時に待ち合わせしようか』
そう送ってから、僕はステーキにナイフとフォークを入れた。
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