普通になりたい⑤
大学と挫折
最初の病院を3年で退院すると、
また家出を繰り返したり
手首を切ったりして過ごした。
そんな事を、しているうちに大学への
進学を考える時期になっていた。
親切な先生方の協力や、頭の良い親戚に
勉強を教えてもらったりして
なんとか大学に進学することが出来た。
入院生活での母と私の関係はあまり良くなかった。
私の言動は母を常に追い詰めていた。
母にも父にも妹にも、周りの人々を振り回しては、その反応に過剰に傷ついて見せ
罪悪感を煽っていた様に思う。
退院してからも関係は悪く
私は隣県の大学近くに越すことを決めた。
母が反対したから大嫌いだったはずの
父にたのんで。
大学から徒歩圏内のアパートに移ると
アルバイトを始めた。
最初は大学もバイトも、うまくいっていたが
だんだんボロが出た。
不眠症は悪化し、どんなに強い薬を摂取しても空が明るくならないと寝付けなかった。
授業中起きていることが苦痛になり、
アルバイトには遅刻し、
よく転んで怪我をした。
普通になるどころか、どんどん薬は増え
異常な姿を周囲に晒す羽目になった。
結局アルバイトも大学も辞めた。
でも、家には帰らなかった。
なぜか妙に異性に好かれた時期でもあり
ひとりで寂しい思いはしなくて済んだ。
やがて二十歳になり、合うバイトも見つけ
暮らしていたころ。
私は、妊娠した。
当時の彼とは結婚どころか長く付き合うつもりすらなかった。
迷うこともなく中絶手術を受けた。
涙なんて出なかったし、
いまでも、あの時産めば良かったとは
とても思えない。
でも、私の精神状態は崖を転がり落ちるように悪化し、ますます人と関わることが難しくなった。
特に母との仲は絶縁に近いほど破綻した。
夜は眠れないで部屋に一人でいる。
遊びに行けば気も紛れるが、
そんな気力も湧かない日の方が多かった。
よくOD(オーバードーズ)をして眠った。
嘔吐が止まらなく、胃洗浄されたこともある。
更に昏睡状態に陥った際には、
寝返りをうてず足の神経が麻痺した。
今でも左足は痺れている。
何をしているんだろうと思った。
思っていた人生と全然違う。
真面目に生きてたのに。
早く人生が終わればいいと思った。
『いつか、かけがえのない人生と思えるよ。』って言う先生もいたけど、
未来を考える余裕なんてなくて、
明日が、今が耐えられないのだから
もうどうしようもないんだ。
でも、生きていれば…
本当は生きているだけでオッケーなのだ。
お金がいっぱいあった方がいいし、
友達もたくさんいたほうがいいかもしれない。
そうしたら楽しい人生を生きられるかもしれない。
『死にたくない』なんて思うのかもしれない。
だけど本当は。
生きることに必要なものなんて本当にほんのちょっとなのだろう。
それは子供の頃思い描いた人生ではないとしても。
もしあなたが苦しみの限界を感じている時、
命を絶つよりも生きることを選ぶ方が勇気のいることだろう。
死にきれなかったあなたは長い間苦しんだはずだ。
つづく