マガジンのカバー画像

やっとかめ大使レポート2024

54
やっとかめ文化祭 DOORS 2024のレポートです。 開催期間:10月26日(土)〜11月17日(日)
運営しているクリエイター

#名古屋城

11月5日(火)「名古屋城のお濠を走った電車と幻の駅跡を巡る」

11月5日(火)景雲橋小園から「名古屋城のお濠を走った電車と幻の駅跡を巡る」に参加した。 鉄道愛好家 山田司様のご案内で、名古屋城のお濠を走った電車の駅跡にフォーカスし、当時の写真と現代に残る痕跡を見比べながら歩いた。 先ず公園で、瀬戸電の設立の経緯、外濠に線路を敷いた説明があった。物流として瀬戸焼を堀川に運んでいた事は理解していたが、守山の歩兵連隊の移動手段と関連して、陸軍管理下にある外濠の借用許可が絡んでいるのは驚きである。また、1905年開通から来年で120年だそうで

11月17日(日)名古屋城で生まれた御深井焼〜尾張徳川家が慈しんだ産業の軌跡〜

11/17(日)、名古屋城で生まれた御深井焼〜尾張徳川家が慈しんだ産業の軌跡〜。 「御深井焼」と書いて「おふけやき」。これは名古屋城で焼かれていた焼き物の名前だそうです。いくら陶芸が盛んな愛知でも、まさかお城でも焼いていたとはびっくりでした。そもそもなぜこんな名前がついたのかと言うと、名古屋城の北西一帯を御深井丸(おふけまる)と言い、そこに尾張藩の御用窯があったからとのこと。ついでに、なぜ御深井丸と言うかというと、名古屋城の堀の北側、今の名城公園付近にあった深い池が「深井(

10/31(木) 名古屋城の水堀はどうやって造られた?

10/31(木)地下鉄名古屋城駅出口から「名古屋城の水堀はどうやって造られた?」に参加した。 種田祐司様のご案内で、名古屋城の水堀に残る遺構にフォーカスし、名古屋城の周辺を歩きながら歴史を紐解いた。 二之丸東門跡:枡形の二重の門で、段組(石の階段)が残っているのが特徴。 元は石垣の上に土塀があって、狭間に昇る為の階段であった。なお、ここに大相撲名古屋場所の時、櫓・幟旗が揚がったが、来年から会場が変わってしまうので今年で最後になった。 二之丸大手二之門:門扉が残っているの