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11月17日(日)名古屋城で生まれた御深井焼〜尾張徳川家が慈しんだ産業の軌跡〜

11/17(日)、名古屋城で生まれた御深井焼〜尾張徳川家が慈しんだ産業の軌跡〜。

「御深井焼」と書いて「おふけやき」。これは名古屋城で焼かれていた焼き物の名前だそうです。いくら陶芸が盛んな愛知でも、まさかお城でも焼いていたとはびっくりでした。そもそもなぜこんな名前がついたのかと言うと、名古屋城の北西一帯を御深井丸(おふけまる)と言い、そこに尾張藩の御用窯があったからとのこと。ついでに、なぜ御深井丸と言うかというと、名古屋城の堀の北側、今の名城公園付近にあった深い池が「深井(ふけ)」と呼ばれていたからということのようです。

講師は、その御用窯の一つである加藤唐三郎家の分家・加藤彦九郎景久を家祖とする喜多窯霞仙(きたがまかせん)第十二代ご当主・加藤裕重さん。この日のために、代々家に伝わる古文書や、工房の江戸時代の窯跡から掘り出したというすり鉢や、片口、銭甕などもご持参いただきました。

それまで単なる日用品だった茶碗に信長が美術的な価値を与え、高価なものとしたことで、江戸時代になると、大名などがお城などで陶工を招いて焼き物を焼かせ、贈答品などに使っていたそうです。御深井焼もその一つというわけですが、その価値を高めたり守ったりするために、陶土や技術を独占しようという動きもいろいろあったそうで、そんな盛りだくさんのお話で90分があっという間に過ぎていきました。

そして、最後には名古屋城限定お土産として登場することになった御深井焼のカップ、小皿、酒器、ピアスなど、「殿様のごほうび」シリーズの紹介も。加藤さんの工房で手作りされたものだそうです。尾張藩の御用窯は明治維新で廃されてしまったのですが、御深井焼がこういう形で名古屋城に復活するということで、感慨深い思いとともに今年のやっとかめが終わりました。

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レポート:シャークヤさん 写真:ジェイ
■レポートしたプログラム

■旅するなごや学

■やっとかめ文化祭

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