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小説 開運三浪生活 80/88「悪夢」

岩手山がすっかり雪をかぶった十一月中旬の月曜の昼頃、文生が出がけにアパートの集合ポストを覗くと、オレンジ色の封筒が届いていた。タイミング的に、前月に受けた川相塾の記述模試の結果に違いなかった。

図書館が休館日のため一切の勉強をせず休養日に充てていたこの日、文生は雑用のため盛岡の街なかに行く予定があった。大通りのドトールでじっくり見ようと、文生は川相塾からの封書をカバンに入れて駅に向かった。

春に受けた年度最初のマーク模試以来、田崎文生――もとい太田興大の名が再び成績上位者欄に載ることはなかった。

それでもマーク模試では依然高得点を稼いでいたし、去年まで苦しんだ記述模試では、最も苦手な数学がついに偏差値50代中盤まで伸びていた。化学に至っては偏差値60という、追試でヒイヒイ言っていた高校時代には想像もつかない域まで学力が上がっていた。今回の記述模試は数学で見当はずれの回答をしてしまった大問が二つあったが、悪くてもおそらくC判定だろうという自己評価だった。

夕方四時近く、所用を済ませた文生は結局ドトールには立ち寄らず、帰りの盛岡駅のホームで封筒を破った。試験結果を開いた手が、しばし停止した。

「E判定」の文字が文生のプライドにグサリと突き刺さってきた。記述模試の結果を踏まえての判定だった。

もう十一月だった。夕日に染まる盛岡駅のホームで、文生は悄然とベンチに腰掛けた。その眼は焦点が定まらず、ただ虚空をウロウロしていた。

センター試験まで二ヶ月。二次試験まで三ヶ月ちょっと。残された時間はあまりなかった。この段階でのE判定は、ただでさえあとのない文生にとって大きすぎる痛手だった。

――まさか、四浪……?

すでに県大を退学した身である。来年も広大を目指し続けるのなら、浪人を続けるほかなかった。広大に入れなかったらその先の人生はない——先天的思考視野狭窄症を患うこの青年は思いつめていた。

そういえば川相塾の規定に、「当塾の大学受験科を一年間受講した生徒は、二年目以降は学費免除とする」という一文があったのを文生は思い出していた。その規定が文生にもまだ適用されるなら、来年川相塾広島校に戻って四年目の浪人生活を送ることが、経済的な負担の面でも妥当に思われた。――が、その一年間に自分を襲うであろう暗澹と鬱屈は想像を絶するものがあった。

その一週間、床に就けばネガティブなことにばかり思いを馳せてしまい、秋に入ってから続く原因不明の頭痛も相まって、なかなか寝つけない日が続いた。県立図書館で机に向かっている間だけは、目の前の問題になんとか集中することができた。

「よお、元・天才クン!」

意地悪い笑顔を浮かべながら、ひさしぶりに集まったクラスメイトたちの前で赤ら顔のタツヒコが文生を罵った。

「おめえ、いづまで浪人してんだ」

もう村じゅうに知れ渡ったのかと文生は内心驚いたが、相手にする価値なし、と無視を決め込んだ。

「もういい加減気づかなっきゃ。おめえはとっくに落ちぶれてんだぁ。理数科に受かった時がおめえの全盛期だったんだ」

さすがに文生はムッとしたが、即座に賢く反論できる瞬発力を持ち合わせていなかった。ただ顔面に血を上らせながら、眼の縁には悔し涙を湧かせていた。

「頭よさそうなのは顔だけ。おめえなんかどうせまた落ちっつぉ!」

気づくと文生は馬乗りになり、いつの間にか手にしていた刃物でタツヒコをめった刺しにしていたのである。

ハッと目が覚めると、薄明るい朝日が障子戸を透過していた。汗だくだった。なんてひどい夢か――。夢の中とは言え、法を犯すほどの凶悪な行為をしてしまった。ここまで心がすさんでいたのかと、文生は自分で自分にギョッとした。そして、そんな夢を見るまでに追い詰められた自分が、ものすごくかわいそうに思えてきた。

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