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小説 開運三浪生活 73/88「セカンドライブラリー」

北国の岩手にも梅雨が来た。途端に、なぜか文生の生活リズムが若干だが崩れ始めた。突然、朝に弱くなったのである。

朝七時に起床し、開館と同時に県立図書館の窓際の閲覧席を陣取り、閉館まで居座る――この規律正しさが受験勉強の進捗を助けたし、文生自身気持ちよく机に向かうことができたのだが、暗雲立ち込めるどんよりとした朝が数日続くと、起床時刻は九時、十時、ひどいときは正午と、後ろ倒しになっていった。ひとつには、深夜にテレビの音楽番組を観ることが増えたのも大きかった。

昼どきに動き出して盛岡の街をゆくのは、元来農村育ちにできている文生にとってかなりの精神的重労働だった。電車に乗り、開運橋を渡って大通りを急ぎ、県立図書館に到着した時には軽い頭痛さえ覚えるほどだった。人目の多い都会を歩くには(もちろん誰も文生になど目もくれないのだが)、いつも小さな覚悟を要した。

昼下がりにようようにして閲覧室に着いてみると、窓際の席も通路側の席にも先客がいた。仕方なく、すでに埋まっている席と席の間に陣取るほかないのだが、文生はこれがどうにも苦手だった。左右に人が座っていると、途端に集中力が半減するのだった。

勉強の進捗の遅れは、当然だが土日でカバーすることになる。ところが、土日こそ閲覧席が熾烈なのだった。学校が休みの現役高校生(なかには中学生もいた)たちが開館前から待ち構えるので、それこそ寝坊などできなかった。結果、閲覧席を確保できず、文生は勉強場所迷子と化すのだった。大通りのマクドナルドやドトールに何時間も居座る度胸はなく、かと言って自宅でも集中力が持続しないのは実証済みである。

そこに現れたのが、市立中央図書館という選択肢だった。これは貫介からの情報で知った。

アパートの近くのバス停から十五分、さらに北上川をわたって静かな住宅街を十五分ほど進むと、高松の池のほとりに市立中央図書館はあった。県立図書館と比べるとだいぶ小ぢんまりとはしていたが、二十人ほどが座れる閲覧室も完備されていた。県立図書館の木製の重厚な五人掛けの机とは違い、軽い材質の天板で、小学校の教室にあるような小さな机が並ぶ程度であったが、盛岡の都心から外れたエリアにあるせいか、満席になる心配はなさそうだった。平日でも夕方五時に閉館してしまう点には不満だったが、サブの勉強場所として使用できるのはありがたかった。

梅雨が明けると文生の生活リズムは徐々に朝型にシフトし直し、気づけばまた朝から晩まで盛岡の県立図書館に入り浸る日々に戻っていた。一時、年間計画が崩れる心配があった受験勉強は、すっかりまた軌道に乗っていた。

現金なもので、勉強の調子がいいと盛岡の街を歩くこと自体がだんだん快適になってきた。と言っても、とにかく関心の視野が常人の半分にも満たない文生は、県立図書館を後にすると無心で大通りを盛岡駅に向かい、さっさと帰宅した。週末は県立図書館の閉館が五時と早いので、たまに「若い力」で牛丼と餃子をかっ食らうくらいだった。

ひとりきりの浪人生活は孤独ではあったが、どこか心地よかった。コントロールできないのは県立図書館の営業時間くらいのもので、あとはことごとく自分次第だった。大人数に囲まれて講義を受ける必要はなかったし、人間関係の煩わしさなど皆無だった。一番鬱陶しい生まれ故郷の世間とは物理的に接触不可能だったし、精神的にも文生の私生活に闖入する不届き者は滅多に現れなかった。時折りふっと冷静になり孤独に苛まれることもないではなかったが、盛岡での浪人生活はおおむね快適に過ぎていったのである。

そのくせ、盛岡の名物にはほとんど関心を示さない文生であった。

冷麺はいまだに食べたことがないし、県立図書館の近くにあるいつも客が行列をなしている有名餃子店にも寄りつかなかった。暇な月曜日に、アパートの近くで見かけた小さなじゃじゃ麺屋に思いつきで入ったことがあったが、いざ食してみると麺の単調さにすぐ飽きてしまい(もういいや、じゃじゃ麺は)と断じた。もっと美味いじゃじゃ麺を開拓してみようという気は起こらなかった。

盛岡の「若い力」が提供するジャンキーな焼きそばや牛丼のほうが性に合っていた。

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