小説 開運三浪生活 78/88「神経過敏」
無事退路を断ったが文生だったが、不覚にもその後生活のリズムが崩れた。
同じようにリズムを崩した六月のように、寝坊して県立図書館を諦め、午後からバスで市立中央図書館に向かう日が増えた。季節的なものなのかもしれないし、あるいはどこにも籍を置かない歴とした素浪人の身分に堕したことで、いよいよ受験を失敗できなくなったプレッシャーによるものかもしれなかった。
さらに悪いことには、この頃から頭痛に悩まされる日が増えていた。左のこめかみ辺りが鈍く痛み出すと、いくら机に向かっていても能率の低下は免れなかった。そんな日は、夜七時頃に帰宅すると布団を敷かずそのまま畳の上で着どころ寝をしてしまい、十時頃にめざめてその後なかなか寝つけず深夜二時三時にようやくまっとうな睡眠に入るという調子で、朝はもちろん寝坊し、県立図書館での座席確保を諦めるのだった。
夕食後に座布団の上に横たわり寝落ちしていたある日の午後十時近く、つけっ放しにしていたテレビ(広島から盛岡に移ると同時に、文生はテレビのある生活を復活させていた)に気づいた文生が画面を見やると、二棟の高層ビルに飛行機が突っ込むというニュースが流れていた。
9.11であった。
衝撃的な画面にさすがの文生もまったく目が覚めた。迫り来る世界的な危機にふっと我に返り、文生は崩れつつあった生活リズムを今一度矯正して再び受験勉強に集中した――のならよかったのだが、この日は結局深夜まで現地の様子を報じるテレビニュースに釘付けになり、やはり翌朝も目が覚めた時にはとうに県立図書館の開館時刻を過ぎているという体たらくであった。
九月も後半に入り盛岡の街並みがすっかり秋の落ち着きを纏っても、文生の生活はガタついていた。昼夜逆転の一歩手前をなんとか踏ん張っている塩梅だった。当然、勉強のほうも順調なわけがなく、本来休養日に充てている月曜日も使ってなんとか一週間のノルマをこなす日々が続いた。盛岡で受験勉強を始めた当初には毎日のように感じていた手応えが最近は薄れ、ノルマをこなすことに精いっぱいだった。
で、夜になり寝床に入ると、焦燥からの自問自答が始まるのである。
――こんな調子で、本当に受かるのか。もうあとはないぞ。
――貫介や野田はそろそろ就職活動が始まる。俺が広大の一年生になる来年、あいつらは四年生か。差がひらいちまったなあ。
――広大に入ったら、周りは二つ三つ年下か。友達、できるかなあ。
ある夜などは翌日に控えた模試に備え早めに床に就いたが、考え事に加え同じアパートの下の階の部屋で学生が飲み会でも始めたものか、深夜一時を過ぎても歓声が止まず、文生のイライラは募る一方だった。明日は長丁場になるので、少しでも睡眠をとりたい。たまりかねた文生は、もはやこうするしかない、と110番に電話をかけた。
「同じアパートの住人がうるさくて眠れないんです。明日大事な試験なのに……」
広島でアパートの隣の公園の酔っ払いに怒って以来の通報だった。小事を大事にしてしまった後ろめたさと、己が神経の繊細さに対する嫌悪感を覚えた文生だったが、警官の到着後にくだんの部屋が静まると、ようやく眠りに入っていくのだった。