小説 開運三浪生活 17/88「部活生活」
中学で文生は卓球部に入った。男子の花形部活と言えばバスケットボールか野球で、「卓球部に入るのはデブか真面目君」などと揶揄されていた。文生自身、卓球なら運動音痴の俺でもできっぺ――と舐めていた。が、実際に入部してみると練習は厳しかった。文生は毎日クタクタになって帰宅した。疲れてはいたが、運動が苦手な自分でもやればやっただけ上達することへの喜びがあった。
家での文生は、毎日ノート五ページの勉強を自らに課した。教科書の英文や単語の書き取りを二ページ、数学の計算ドリルを二ページ、漢字の書き取りを一ページというシンプルなものだったが、結果的にはこれが文生の学力の基礎になった。社会と理科は試験前にしか勉強しなかったが、毎回の授業に興味を持って臨んでいたのでなんとかなった。要領がよかったのである。
文生は親から「勉強しろ」と言われたことがない。「言わなくてもうちの子は勝手に勉強する」と思い込まれていた。そもそも、出来のいい子は努力しなくてもイイ点が取れる。出来の悪い子はいくら勉強しても点が取れない――そう、母親は妄信していた。受験経験のない彼女にとって、人間の能力とはすべて天賦のものであった。音楽の才能があれば学校の授業だけでピアノが弾けるようになるし、運動の才能があればスイミングスクールに通わなくても速く泳げると思い込んでいた。もっとも文生に関しては、将来役に立たない体育や部活のことなどどうでもいいと思っていた。
中学二年の五月に、卓球部は遠征合宿を行った。車で二時間以上走った先にある沿岸の街に一泊し、現地の中学と合同練習や練習試合を行った。
慣れない長距離移動がこたえたのか、旅館の朝食に出た普段口にしない海産物がよくなかったのか、文生は家に帰ると珍しく倦怠感を訴え、寝込んだ。一日だけ、初めて学校を休んだ。運動神経の鈍さと顔色の悪さからひ弱のレッテルを貼られていた文生だったが、小学校でも授業を欠席したことは一度もなかった。
この病欠を境に、一年間続けてきた一日五ページの学習習慣はパタリと途絶えてしまった。自分でも不思議だったが、まったくやる気が湧かなかった。いつしか、生活の中心は卓球になっていた。部活から帰って夕食を済ませると、まず横になって仮眠する。十二時過ぎにようやく起き上がり、汗ばんだ半袖に不快感を覚えながら申しわけ程度に一ページだけ簡単な計算問題やら英単語やらをやって風呂に入り、また寝る。自分を律していた文生はどこかに行ってしまった。
変わらず継続していることと言えば、テレビ番組を一切観ないことくらいだった。
それでも試験が近づくと集中的に勉強してつじつまを合わせ、学年三位以内はキープできていた。一年の頃に基本の反復をしていたことも大きかったが、やはり要領がよかったのである。さらには、高校受験に対する周りの生徒たちの意識も低かった。田舎なのでどうせ通える高校は限られているし、部活を引退するまではのんびりやっていきましょうという雰囲気だった。