日本の"普通"じゃないという"危険"
みなさんは日本の、もしくは育った場所の、
"普通"に従って生活してこれただろうか。
みなさんは"自分を出す"ことができているだろうか?
そもそも自分の出し方がわかるだろうか?
学校でいじめにあったことはあるだろうか?
海外にてカルチャーショックを経験したことはあるだろうか?
私は残念ながら見た目の時点で"普通"というアイデアに反していた。
ハーフはハーフでも白人寄りの顔をしている。
コンビニでうどんを買ったらフォークが付いてくるレベルだ。
もうこのネタは私の定番である。
見た目だけでなく、海外に住んでいた経験もある。
引っ越しも繰り返した。今の大学で通った学校は11校目だ。
しかし、親の転勤だからではない。
中学3年生まで英語ではなく、フランス語と日本語しか話せなかった。
話し始めたらキリがないくらい"普通"じゃないところがたくさんある。
この"普通"じゃないバックグラウンドから私の性格、コミュニケーション方法も形成されている。
これにより日本では全ての学校でいじめられ、
カナダの学校ではいじめの"い"の字も出てこなかった。
違いは何か。
北米は"Special"が美とされ、日本は"Normal"が美とされる。
日本の学校での教育を振り返ってみてほしい。
同じ服を着て、同じ事に取り組み、決められた事を発言し、決められた正解を求め、協調性を学び。。。
私は日本が好きだし、文化も好きだし、教育も好きだ。
たとえいじめにあった経験があっても。
日本の歴史背景を知っていると、この教育の美が理解できる。
しかしグローバル化を目指す、更なる産業成長を目指す国として、
"普通"を目指しすぎて、"普通"じゃないものが危険な環境をつくってはならない。それは日本の将来をも危険にすると私は思う。
"普通"について考えて生活してみてほしい。
"普通"や"正解"なんて世界を見れば、ないのだから。
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