ありがとうデスノート4

お腹が空いたけど、
書くことが楽しいから続けてる。

変だけど、楽しいならいいか。

自分で楽しいなぁって思えることをするのって、何年ぶりだろう。
高校生の時に、ペットボトルロケットをチームで作った時以来かも。
今は一人だけど。

あ、いや
noteに書いたら。と言ってくれた夫さんありがとう。

明日から息子君が登園。
幼稚園のバスというものに初めて乗る。
私も乗ったことはない。自分は徒歩通園。
しかも、息子君90分も乗るらしい。
長い。
私には耐えられない。
ちょっとした観光地に行かれるよ。
こういう時は応援すべきなのだろうけど、なぜか、自分の不安という感情が大きくて、息子を思いやるという感情になれない。

事実:息子君がバスに乗る
   90分乗る。
   決めたのは幼稚園
感情:私が不安

何で?
あらぁ、90分も乗って大丈夫なの?というおばちゃん声が聞こえてきた。
それってほんとに私の声?

楽しいかもしれないジャン。
自分が経験したことがないからって、勝手に悪いことだって決めつけないでよ。
と思春期女子の声が聞こえてきた。
これも私の声なの?

本当は、非情にも、私は何も思っていないんじゃないの?
何も思わないと、非常なサイコパスだって周りの人にバレそうだからって、
自分で”息子君のことを思って可哀想と心配している”風を演じているんじゃないのか?こんな風に思っておけば、いいお母さんっぽいし、いわゆる世間のおばちゃん的発想じゃん。と。

そうやって、おばちゃん風かわいそう心配をしておくことで、
周囲の人と自分を同化させよう、あるいはサイコパスを隠そうとしているだけなのかもしれない。

だって、実際には
バス問題は私の感情には何も影響を与えない事項じゃない?
必要が発生した時に対処すればいいだけで、
自分の感情を、無理して動員する内容ではない。

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