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今井町から奏でる町並みというハーモニー

-「築き立つる柱は、此の家長(いえのきみ)の御心(みこころ)の鎮(しずまり)まりなり。
取りて挙ぐる棟梁(むねうつはり)は、家長の御心の林なり。」(日本書紀)

 今井町は室町時代末期に信長包囲網に呼応して一向宗門徒衆が集まって開いた寺内町で、武装放棄された後は自治都市として栄えました。
東西約600メートル、南北310メートルの周囲に濠をめぐらし、9か所の門を構えて防護を固め、縦横の道筋も各所に曲折部をつくって見通しを許さず、町全体が一つの環濠自衛都市となっていました。
いわゆる、町筋という線が縦横に入り組み、濠に囲まれた今井町という面を形成しており、各家々に門はなく秩序のとれた格子の家並みが続き、重要文化財の建造物が9軒を含め、伝統的建造物が約500軒あまりの日本一の保存地区であり、世界的に誇るべき景観と意匠を今に伝えています。

 今井町は、藩(銀)札と同価値である今井札を発行するなど独自の掟を17条にわたって明文化し、上納・売買・消防・自身番の規定・博打の禁止・道路の保全・濠溝の保護・焙煤清掃・節約勤倹など町民相互の社会道徳や保全を説き諭し、朝6時から夕方6時以外は閉門されており自治自衛が徹底されておりました。
この掟と環濠によって、町内の安全を確保することによって農村の多くが20軒程度だった当時「今井千軒」とまで謳われる程に繁盛を極めて現在でいう指定都市以上の権限を持った我が国においても他に類を見ない調和のとれた町並みを形成し、守り得ることができたと言ってよいです。

 しかしながら、幕末になると重税により衰退して明治維新以降、濠が埋められることから端を発し町並みの景観が崩れていきました。
掟という縛りもしがらみもなくなり自由勝手に家を建て替え、町筋の意匠が乱れ、町並みが徐々に崩れていきました。
明治4年7月14日に廃藩置県が断行され、越前藩などへの貸付金が凍結し、今井町内の豪商が徳政令によって債務不履行に遭い町を出ざるを得なくなってしまって建て替えの機会をなくした事が幸いして各民家が頑丈であったことと空襲の被害が無かったことから7割の民家は、明治から昭和の戦禍を切り抜けることが出来ました。
そして昭和32年6月、東京大学工学部建築学科による全国町家調査を経て倒壊寸前の今西家が重要文化財に指定され、それを機に全国的に町並み保存の意識と機運が高まることになります。

その後、建物単体でしか保存出来なかった歴史的建造物を、面的な広がりのある空間として捉えて保存するための伝統的建造物群保存地区制度ができ第一号選定を文化庁から持ちかけられるが、保存反対派が価値観を押し付けられるのを不服として長らく実現しませんでした。

保存反対派は、「自由な保存」を謳い文句に文化庁や橿原市教育委員会の指導を無視して高さ制限や景観や調和を無視した建設を断行しました。
これによって線である町筋と高さの調和が乱れましたが、文化庁と学者や住民保存派の長年の努力により、ようやく、1991年に重要伝統的建造物群保存地区の選定を受理しました。
この間、保存派が参考にしたのが、今井町と同じく自治都市のイタリア・ボローニャ市の保存活動であり、今までの伝統的建造物群保存地区制度にはない「住民審議会」という独自な制度が誕生し、今井町町並み保存住民審議会を設立しました。

 町並みの景観が美しく調和が取れているヨーロッパのドイツ、イギリス、イタリア、フランスなどでは、景観を保護するためにさまざまな法律が定められています。

ヨーロッパの風景の保全の特徴は、景観という概念に留まらず、地域・生態系を含めた複合的な概念の上に立って、自然保護と風景保全が連動して一体となっていなければならなりません。

それを念頭において立法化されたのがイタリアは「ガラッソ法」、フランスは「マルロー法」などで、保全地域を定めて、新たに建てる建物の高さや、外壁の色、デザインなどを規制し、建築や景観的文化財を保護するものです。

このように法律で規制されるのはもちろんですが、それ以前に景観を大切にしようとする考え方が根付いており、景観を大切にしようとする根本の合意ができていることが、景観を守る上で重要なようです。

ヨーロッパの建物は、こうした日常生活の中で保存され続けています。
例えば、窓辺の花々(バルコニーフラワー)を統一したりして、季節を演出しています。

わが国でも昭和52、53年両年度にわたって建設省と文化庁の共同で今井町の保全整備調査を行い、これを受ける形で角館町、京都の伏見、神戸の北野地区、旧外人居留置で「歴史的市街地保全整備計画調査」を行って全国の歴史的景観保全修景地区を保全・整備するための新しい制度、新しい事業がすすめられるきっかけとなりました。

今後、町並み保存の歴史が古いヨーロッパから学びとることは多く、ヨーロッパ各国の基準を参考に景観を維持すると共に、平面である自然と立体である建造物を別々ではなく複合的に保全していく概念を今後わが国の保存の取り入れていくべきであると思います。
例えば、ポジティブリスト制度で、基準リストを作り景観保存の大枠を決めて、町並みを守るための補助金を捻出する事を条件にすれば、きちんとした景観が作られます。
ドイツの街では、建物の高さの厳格な制限、オランダ・アムステルダムでは間口の大きさで課税する、といった昔の施策で、統一感のある街並みができたのです。
江戸時代までのわが国のスタイルの方がそれを認識していたのではないでしょうか。
自然と住まいと人の有機的な調和を図っていました。

 町並み保存の本来あるべき姿は、法律を押し付けられるのではなくて町を愛する意識が根底になければならないのは言うまでもありません。
それは、「自律自戒した保存」という言葉が当てはまるのではないかと思います。
調和というものは、調子をあわせハーモニーが奏でられていてこそ美しいものです。
今井町の歴史は、先人の一人一人が積み上げてきた汗と涙の結晶であります。

 みなが住みよい町をアイデンティティーの柱にして長年に渡って各家々においての慣習と規範を子孫に引き継いでいく事によって町への愛着精神と誇りを相続してきたにもかかわらず、ある一人の者が調和と規律を乱すことは、文化を否定する野蛮な許されざる行為であり、生態系を破壊する事と似ています。
 本来、良いも悪いもこの町に生まれ育ってきたのだから捨て石になる覚悟を持って今井町という大木を育てる心意気がなければなりません。
また、今井町という文化遺産を担っているという責任とプライドを持って、住民の各々が権利ばかりを主張するのでなく「連帯保証人である」という認識と気持ちを持つことが大事かと思います。

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