20240128生きているだけで唯一無二。人と比べるより○○しよう
こんにちは、なおちゃんです。
Instagramで見た、ある人の言ったこと。
パパ役と息子役の人がアイスクリーム屋にいます。
パパは、「今日お前は勝たなかったからアイスなしだ。」と言います。
他の子どもは食べているようです。
息子が、「えー食べたいよ。」と言うと、「だめだ、勝たなかったろ。」と言います。
そこで、近くにいた(50代くらいでしょうか)男性が、パパに話しかけます。そして、言います。
「人生はそれ自体が大変なんだ、さらに難しくしなくていい。」
そうだよな、と私は思いました。
生きてるだけですごいこと。難しくしなくていい。
みなさんはどう思いますか?🍀🍀
タイトルの○○の答えは、「インナービーイングの見方と一致しているかに注目しよう」でした。詳細は、最後の項目で。↓↓
不自由、制限に気づいた
明け方、お手洗いにいってから眠れず、起きて電気をつけ、ノートに書き出しをしていました。
ふと、思ったのです。
「自分を枠にはめて不自由にしていたかも。」
年齢と性別、というところで、すごく自分を苦しめている感じがしたのです。
望めば叶う、だから望んで、叶っている方に意識を向けて。
でも、その一連の過程の中に、抵抗が強くあったかもしれない。
抵抗を打ち破ろうと、なんだか苦しくなっていたかも。
ちょっと、サレンダーしようと思います。(-。-)゜゜゜
**********************************************************
これまで開放してきたこと
とはいえ、不自由さから自分を解放してきたこともあるよな、と思い、書いていきました。
旅をしてもいい。
どこの携帯会社にしてもいい。
一人で契約してもいい。(家族割とか使わなくていい。)
どこに住んでもいい。
車を売ってもいい。
何を食べてもいい。
一日何食でもいい。
一人で一軒家に住んでもいい。
・・・
そんなことをやってきて、やってみても大丈夫だった(生きてる)。
そして、あげていくうちに、どんだけ、親や周りの人に気を遣って(嫌われないようにして)きたんだか!と、少しあきれた感じにもなりました。
自由と不自由。
子どもと関わる仕事をしていて、はちゃめちゃな子たちに困ったなと思うことがあるけれど、エイブラハムのお話を思い出し
これまで、その場において出来るだけ、それまであった制限を外してきたけれど、(~~しなくちゃいけない、というのをしなくてもいいよ~と)
自分が自分に許せていない範囲のところで、まだ自由になれていないところがあるのかもしれない、と思った。
例えば、走り回っちゃいけない。変な声出したらおかしい。このスケジュールで動かないといけない。みんなと同じ行動をしないといけない。
そういえば、その現場に入った時、大人が決めているルールに対し「気持ちわる!」って思ったことがあったけれど、いつの間にか慣れて、私もやっていたことがあるのに気づいた。
(例えば、ミーティングのやり方、何それ・・って思ったけど、でも合わせてやっちゃってた、とか。)
おかしいのは、私の方かもしれない。
不自由さに気づかなくなっていて。
**********************************************************
さらなる自由を求める
日本の各地を転々とした旅の話をしたりすると、人に「自由だね。」って言われたことがあるけれど、それは、その地点での話。
やりたいことをやろう、と、その時その時でできることをやってきて、
今また、違ったレベルで、もっと自由になりたいんだ。
コントラスト(望まないこと)を体験し、「これがいい」と望みを放つ。
そして、受け取りモードになり、準備ができたところで、受け取れる。(叶う)
叶うと、今度は「もっとこうがいい」と新たな望みが出て、また受け取りモード(step3)になったら受け取れる。※
叶っていない場合も、「まだ叶っていない」と不快な気持ちを体験すると、さらに望みが強くなり、波動の現実に加えられて、受け取りモードになったら受け取れる。
こういうところに住みたい、こうやって生活したい、こういう感じで働きたい、様々な(意識しきれないほどの)望みを放ち、受け取ってきて、助けられて実現されてきて、
さらに、もっとこうしたい、もっとこうなりたい、もっとこうだといい、と望みが打ちあがっている。
コントラストを体験し、さらに、望みが強くなっている。
「それは、いいことではありませんか?」
エイブラハムは言います。
そう。
いやだな~と感じることを目の前にしていると、どうしようもなく感じてしまったりすることもあるけれど、それはただstep1の状態であるだけ。
step1になることも、願望実現の流れの中に必然的にあることなので、その気分の良くない状態も、受け入れたり、認められるといい。
大丈夫、安心して。
※エイブラハムなりの表現になります
コントラスト:望まないこと、望まない体験、気分が良くない体験
step1:望む段階、コントラストを体験する段階
step2:波動現実で望みが叶えられる段階、宇宙が叶えてくれる段階
step3:自分が受け取る段階、リラックスしている状態、おまかせして気分がいい状態
**********************************************************
少しずつ、世界の見え方が変わる
私は、この、目に見えないけれど働いてくれているもの(非物質のエネルギーである自分、インナービーイング、ソース)があることを知り(元は知っていたので、思い出し?)、感覚をつかんでくることで、現実の物質的なものだけを認識、評価していた時とは、世界の見え方が変わりました。
もっと流動的な、気持ちや感覚で世界を捉えている。
表面的な外見のもので、あれはいい、これはだめとか、ジャッジする感じが減ってくる。
例えば、感謝している、とか、リラックスして気分がいい状態、というのも、形のないものですよね。そこを感じるようになっています。
ジャッジしない、ってなると、楽ですね。もっと楽になりたい(笑)
**********************************************************
人と比べる・・?比べようがない!
私たちは、生きているだけでユニーク、唯一無二の存在です。
そのことも、感じられるようになってきました。
他人と比べて、何かに合わせて、評価されようとして生きてきた。
でも、それは、幻想。
実は自分の見方があるだけ。
何歳で、誰といて、何の仕事をしていて、など、そういう外見的なところで、他人と比べたりすることがあるけれど、本当に外見からは、全部見えないよなって思うのです。
親しい友人であっても、その時心の内で何を思っていたかとか、過去に何を経験し感じていたかとか、すべては分からないですよね。(昨日のごはん何食べたかも知らないやw。ただ、家に寄ってくれて、ちょっとおしゃべりして、ありがとうね~って思っている。)
人と比べる必要はないというか、比べようがない。んじゃないかな、と私は思います。
というか、そう考えたら、楽!
**********************************************************
内なる自分の意見と一致しているか、に目を向ける
他人と比べるのでなく、自分の中の本当の声、内なる自分の見方と自分が同じ方向を向いているのか、意見が一致しているのか、そこが大事。
最初の方で書いた、周りの人に合わせて自分を抑制したり制限してきたこと。それは、言ってしまうと、人のせいにして自分が不機嫌になっていた(やりたいことができないとか、つまらないとか、、)ということですね。( ;∀;)
その時は、自分の中に力があるとか、本当の自分とのつながりがあるとか、知らなかったので、仕方がないのですが。
自分の心の声に従って、自分でやりたいことをやる。人にどう思われようと。
一人ひとりの中に、自分のことをすべて分かってくれていて、愛して、導いてくれている、存在がいます。(エイブラハムの教えでは、インナービーイングといいます。)
本当の自分は、純粋な前向きなエネルギー。
その自分、内なる自分と意見が一致するかどうか、が大事なのです。
ちょっと困った時に、立ち止まって、
「インナービーイングはどう見ているかな?」
と質問してみる、私自身、これをもっとやっていきたいと思います。
そして、もう一つエイブラハムの教えてくれている、先回りする(英語でget ahead of)ことも、普段からやるとよいことです。
車に乗り込む時に、「今日は交通が良くてスムーズに走れる。」
友人とレストランで食事をする前に、「会話が盛り上がって楽しく食事を出来る。」
医者に行く前に、「先生はこの症状がよくなるよう前向きなお話をしてくれる。」
お店に入る時に、「色々なものの中から欲しいものを買える。」
など。
感謝や前向きな期待の感じで、先取りをできるとよいと思います。
**********************************************************
では、今回は以上です。
内なる自分とのつながりをより保てるようになり、より心地よく人生を進んでいきたいですね♪
お読みくださり、ありがとうございました♡
皆さまも、よい日々をお過ごしください。
またね~