#エッセイ『池田・岸田首相の相似より』
今朝に日経新聞では岸田内閣の支持率が3ヶ月前より4ポイント上がって52%の支持率になったと出ていました。岸田政権になってもうすぐ丸3年になりますが、50%を超えていれば及第点なのでしょうか?
話題が少し古くなるのですが、2021年の日経新聞の記事で面白いものがありました。第100代内閣総理大臣になった岸田さんはその年の8月末の菅総理がまだ現職の時にすでに次期総理が見えていたとの内容で書かれていますね。これは時々耳にする事なのですが、国の元首や企業の社長になる人物は若いときから何となく自分がなるのでは・・と予期しているケースがあるそうです。岸田さんがそこまでの事を思っていたのは分かりませんが、人は強く願う事によってその思いの方向を自然と手繰り寄せたりすることが多々あるみたいですね。その記事の中で岸田さんとの対比として池田勇人元総理の事が書かれていました。池田元総理は戦後の名総理の一人として亡くなった後にも後世に名を残していますよね。池田元総理も政権を手にする直前に『俺の目には政権というものが見えるんだよ!』と言っていたそうです。記事では池田さんのその発言を引っ張り出して『池田・岸田の相似』というタイトルを付けていました。
池田勇人と言えば世にいう“所得倍増計画”ですよね。NHKの古い資料映像でもよく出てきますよね。国会の答弁で当時の池田総理が『私は嘘を申しません。今後十年で国民の皆様のお給料を倍にして見せます。』と言い放った名セリフです。当時の日本人はテレビの前で“ホンマかいな?”とも思ったでしょうが、結果として七年ほどで達成するとは見事なものですよね。面白い事に彼はその同じ口で大蔵大臣時代の国会答弁で『貧乏人は麦を食え!』と言い放ったとか・・(笑)まぁこれは当時の新聞記者が面白おかしく書いたというのが真相でしょうけどね・・。彼が活躍できたのはもちろん時代が良かったからでしょう。朝鮮戦争の特需で一息ついた日本経済がさらに加速してギアを一段上げていく感じだったのでしょう。その当時の状況を考えると世界的に見て安い人件費と国民の高い教育レベル、そしてアメリカの外交的な後押しもあって高度経済成長へと繋がっていったんでしょうね。もっともなぜアメリカが戦後の日本にそこまで力を入れたかと云えば、それは長い目で見ればアメリカの国益に沿う事だったのでしょうけど。今の時代から見れば当時の池田勇人は逆にどうしたら失敗するのだろうかとも思えますよね。
では、この池田氏はどのような歩みで総理にまでなったのでしょうか・・・。この人もかなりの苦労人だったようです。学生時代の受験では、旧制高校の一高(東大の前身)を落ちて熊本の五高(のちの熊本大)へ進み、大学入試ではやはり東京帝大を落ちて京都帝大へ・・・。卒業後はなんとか大蔵省に入省するのですが、しばらくすると大人になってから小児麻痺にかかって療養にため退職を余儀なくされているのですね。彼は人生のいつの時でもかなりの努力をされたらしいのですが、今一つ思いが実らないという辛酸をなめてきている人だったのですね。しかし転機はそこから訪れます。病気から回復した池田氏は知人の伝で日立製作所に中途入社が決まったそうです。初出社の通勤途中に通りかかりの三越の前で思う事があったのか立ち止まり、三越百貨店の中にある公衆電話から古巣の大蔵省に電話をします。本人は病気が完治し新しい道を進むという事と、お世話になったという一言を伝えるつもりだったそうです。電話を受けた元同僚の大蔵官僚は池田氏からの電話に驚き、『なんだ!お前生きていたのか!どうにかしてやるからとりあえず今すぐ来い!』と言うと、本人も『お茶くみからお願いします。』と返事をしてそのまま日立には行かず大蔵省に復帰したそうです。その後は大蔵の事務次官にまで上り詰めて、それを足掛かりに政界に出て総理への道を駆け上るという人生ですね。やはりこんなに偉くなる人でも苦労をしているんですね。一本の電話をかけるというたった一つの行動がその後の人生を変える。そういう意味でも人生は面白いですよね。
人は必ずしも人生の中で苦労をしなければならないとは思わないですし、不必要な苦労を背負う事はないと思います。ですが、人間生きていれば必ず何かで必ず苦労はするものだと思うのですね。それは自分に何かが欠けているから起こる苦労なのか、それとも時代背景や人生のタイミングなどによる不可抗力な苦労なのかその判断は時間が経った後からでしか分からない事が多いですが、各自がその苦労を迎えた時にちゃんとそれに向き合うことでその人を大きくすると私は思うのです。苦労を乗り越える過程で手に入れる人生のスキルを誰もが自分なりに自然と身に付ける、それが老成するという事なのでしょうか。そういう意味では僕なんかはまだ汗をかいて苦労をしていないといけないのでしょうけどね・・・。こうやって苦労をすることをある意味良い事として書いてみましたが、見方を変えるとこんな言い方も出来るのではないでしょうか。それは好きでやっている事なら、傍から見ていて大変そうだとか、苦労しているな・・と思う事でも、当の本人が好きでやっている事なら実はそれは苦労でも何でもいないという事もあるのですよね。それを見せつけてくれたのが今メジャーリーグで活躍をしている大谷翔平ですよね。でも、会社勤めをしている多くの人なら、『この仕事しかないからやってんじゃん!』という事でしょうから何かをやり続けるという事は多くの場合やっぱり苦労として捉えられてしまいますよね。
さてさて、岸田さんは総理になって2年が過ぎ、政府内でも色々あったと報道されていますが、ここ一番踏ん張れるのでしょうかね?立場が変わる事によってまたは、社会的な地位などが上がることによって成長をするという事だって往々にして考えられますので今後の岸田さんをいい意味で見守りたいと思います。
ちょっとエラそうなことを書きましたが、岸田さんに限らず総理にまで上り詰めた人に共通で感じる凄みというものが実はあるのではないかと秘かに思っています。それは、そこ(総理)に上り詰めるまでには常に選挙に次ぐ選挙で勝ち登ってきているという事です。それは人々の信任を背負ってきているという事ですよね。もちろん投票をしてくれていない人だっているのですが、国政選挙でたとえ消去法で選ばれた人であっても多くの人が入れた票という後押しがその人を大きくしていきますよね。僕の感覚では、政治の世界で選挙を通じて『勝ち登って来た』という事が池田勇人と岸田総理の相似だと思えてなりません。