#エッセイ (政治経済)『チョット考えれば分かるんじゃない?』
米国の大統領選が去年の末に終わり、年が明けた1月20日の月曜日に元大統領のトランプ氏が飛び石で二期目の大統領に就任しました。テレビニュースの中では就任初日から過激なパフォーマンスで支持者の前で次々に大統領令の書簡にサインをしている姿が映し出されておりました。御年78歳の大統領は中々のバイタリティの持ち主で、しかも『アメリカファースト』を掲げているので、一視聴者の私でも何となく戦々恐々としてしまうほどです。WHOからの脱退や不法移民の強制送還、そして各国に対する関税の強化など、歴代の大統領では考えられない早さで色々な事が報じられています。
その中で、一つ気になるのが、中国に対する10%の関税引き上げの件です。実際には米国内で中国と深く結びついている企業との兼ね合いがあるためか、まだ表立っての関税の引き上げ発表はありませんがそれも時間の問題なのでしょうか・・・。今世紀の初めには俄かに蜜月関係にあった米中ですが、今では米国の仮想敵国としてあからさまにマークされているようです。その中国ですが、2000年代の初めから急速に経済力を付けて世界での存在感を増してきましたが、その急速な発展はなぜ可能だったのでしょうか?
中国が21世紀に向けて改革開放路線を採ったのは1970年代末ごろの鄧小平時代の頃です。当時の私の記憶では中国政府は国内に経済特区を作って資本主義経済を導入し始めたのですが、一から産業を興していていたらとても数年では間に合いません。当時の中国政府の方法としては、中国国内に入ってくる海外の企業に対して中国の地元企業と合弁で会社を立ち上げるという事が条件でした。それによって中国企業は急速に工業製品の生産と開発のノウハウを吸収し、気が付けばかなりの分野で世界の先端的技術を有するようになりました。その結果による経済力の発展に伴って今ではフィリピンなどを中心とした東アジアの海域では軍事的な脅威にもなっています。中国恐るべしです。
今でこそ経済の先行きが不安定な中国ですが、しかし依然として世界では存在感があり、米国だけでなく、私たちの国にとっても脅威であることには変わりがありません。そう考えれば米国が敵として吠えるのも分かるのですが、その手のニュースを聞くたびに『でもねぇ・・・』と思う事があるのです。それを象徴するようなニュースが先週テレビで流れていました。それは米国の大手鉄鋼メーカーのクリープランド・クリフス社のCEOが日本製鉄のUSスチール買収に横やりを入れた時の会見の中で、『中国は悪だ。中国は恐ろしい。しかし日本はもっと悪い。日本は中国にダンピングや過剰生産の方法を教えた。』のくだりにその感覚がにじみ出ていると思うのです。それはダンピングや過剰生産云々は日本だけが中国に教えた事では無いと思うのです。私が思う本当のところは、中国の競争力を一足飛びに高めたのは、先に書いたように、安易な生産技術の開示を中国で行ったのは日本を含む世界中の企業が競うようにやった事だと思うのです。この米国鉄鋼メーカーのCEOが放った一連の発言は日本に対する挑発とバッシングでしたが、実はそれはそのまま中国に対する憎しみと脅威に繋がっていると思うのです。このニュースそのものは日系企業の米国企業買収の問題ですが、今トランプ政権が考える中国の脅威はもっと経済全般にわたる米国に向けたダンピングと過剰生産です。それを日本企業だけが教えてきたとは到底思えません。本当のところは中国が改革に舵を切った時に、その未開拓の広大な市場の魅力と労働賃金の安さに飛びついた世界中の企業が行ってきた事だと思うのです。その当時の日米欧の各企業の経営者や政治のトップが手っ取り早く利益を手にするために安易に今まで積み重ねてきたノウハウを惜しみなくオープンにしていったのです。その結果として中国が短期間のうちにモンスターとして成長し国際社会で横暴ともいえるような振舞をするようになったと思えてならないのです。
今から二十数年前に世界の企業が中国に進出する時に中国企業との合弁の条件を聞いた時から私は今日の事を何となくですが想像していました。あの当時思ったことは『なんでそんな安易な事をするのだろうか・・。競争力を付けた中国は時期に合弁会社を追い出し、世界に過剰な要求をするのが分からんかね・・・』と思ったものです。
少し考えればまたは、ほんの少し想像すれば誰にでも分かったと思うのですし、容易に想像できたと思うのです。人間とは恐ろしいもので、目の前に大きな利益が転がっていれば、そのもう少し先の闇や落とし穴には目が向かないのでしょうか。分かっていたとしてもその時の時勢で黙ってしまうのでしょうか・・・。企業も政府もそのトップに座る人は比較的短期間で交代します。そうすると自分が今いる間に成果を上げなければならないとなると、”長いスパンで・・・”という悠長なことも言ってはいられないのでしょう。それでも『少し考えれば・・』という気持ちで想像すれば決して踏み込まなかった領域というものが歴史の中ではいくらでもあったと思うのです。やはり人間にとっては、その場限りの利益や感情は未来の利益を凌駕するのでしょうか。そして歴史がいかにそれを教訓として書き残しても。後世の人間は決して学べないという事なのでしょうか・・・。もし人間がそこから学び行動が出来たなら、おそらく私たちの国は太平洋戦争に突入することも、バブルに経済に踊ることも無かったと思うのです。
歴史を語るうえで”もし”は禁句ですが、未来を語るなら”チョット考えてごらん”という事があってもいいのではないかと思うのです。