#エッセイ『社会の変わり方』
この5~6年ほどですが、ニュース等で“鬱”という言葉をすっかり聞かなくなりました。それはそれでいい事だと思っています。数年前までなら『誰々さんが診療内科へ行ったみたいよ・・』なんていう話を耳にしたのですが、最近ではその心療内科の存在も忘れがちです。その代わりこの数年でよく耳にするのは“~ハラスメント”という単語です。この“ハラスメント”という言葉はいつから市民権を得たのでしょうか・・。
私の記憶の中で言いますと、おそらくは20年程前からではないでしょうか。最初は新聞やニュースで少し話題になったと記憶しています。その時は“セクハラ”という言葉でした。正式には“セクシャルハラスメント”という言葉の略ですね。最初にその言葉を聞いた時は、「そんな言葉が流行りとして出てきたかね・・・、」といったくらいの感じでした。まぁ当時の私は意識が低かったのですね。その当時、私が勤めていた職場では女性が迫害されているといった事は感じた事が無かったのです。本当の所はその当時の女性たちに聞いてみないと分からなかったのですが、記憶の中の感じでは当時オフィスにいた女性はむしろ男性より元気そうにしていたなというのが本音です。それよりも『俺んとこの上司どうにかしてよ・・』と考えていたものです。そんなことをおぼろげに考えていたら、マタハラ・パワハラ・モラハラなど色々なハラスメントの要素を持った言葉がここ数年でニュースやネット上で見られるようになりました。その先駆けとなったのがセクハラです。痴漢のような犯罪的なハラスメントは論外ですので、今回は職場での労働待遇における性差別的なハラスメントをセクハラとして捉え、そしてその言葉をキーとして私たちの社会がどのように変わって、そしてこの先はどうなっていくのだろうかという事を考えてみたいと思います。
それで手始めに、ちょっと簡単にネットでハラスメントについて調べてみました。改めて調べてみると驚きでした。なんとハラスメントという言葉の歴史は結構古く、1980年代の終わりにはすでに日本でもセクハラの裁判がされていたそうです。この件については記憶がないのですが、そんな古くからあったとは・・・という感じです。マスコミ等で発信された新しい言葉とその概念は時間をかけて徐々に社会に浸透してくのですね。そこに至るまでには多くの人の努力と戦いがあったのだという事を思うと本当に頭の下がる思いです。このセクハラという事で記憶に残る事が一つあります。それは少し前にテレビで見た米国の映画“ダーティーハリー3”を見ていた時の事です。主人公のキャラハン刑事が新しい相棒を選ぶときに女性を拒否したという描写がありました。その時のセリフは『女なんかに刑事の仕事が務まるか!』というような事をスクリーンの中で言い放っていました。今なら一発でアウトですね!そしてそのセリフを受けた女性の市役所の役人が『女性差別だ!』と反発するという内容でした。子供の頃この映画を見た時はクリントイーストウッドが何かワイルドな男でかっこよく見えた記憶があります。この映画が上映されたのが1976年です。おそらくはその頃のアメリカでは”ウーマンリブ“という女性の地位向上という運動が盛んにおこなわれていた時代ですね。アメリカで起きる社会現象は何年か経て日本にもやっていますので、日本で起った80年代終わりのセクハラ裁判はまさにその先駆けだったのかな?と思ってしまいます。
ただ自分の身の回りでの記憶を辿ると、セクハラと女性の社会進出という事が本格的に自分の身の回りで取り上げられるようになったのはこの十数年くらいだと思っています。この先に書く事はセクハラとストレートに一致する内容ではないかもしれませんが、少々辛抱してください。女性の社会進出という事で私が最初に気が付いたのは、十数年程前から多くの女性が結婚後も会社に勤め続けるようになったと感じ始めた事です。そしてそのうちに産休を取るようになり、産休明けに復職するという流れがどんどん加速してきたな、と肌で感じました。それまでは結婚が決まると若い女性は退職していくのが自然な流れで、それは社会全体として普通な事として捉えられていたのではないでしょうか。おそらくその頃までは辞めたくなくても辞めなくてはという無言の圧力を感じていた女性も多かったのでしょうね。どこかで変だと思いながらも、でもそれが普通の事だと自分に言い聞かせていたのか、それとも言葉として掴みとれない社会の不条理をモヤモヤと抱えながらそれぞれの人が自分とどう折り合いをつけたいたのか、それはちょっとわかりませんが社会全体の問題として表面化していなかったというのが実情だと思います。それがいつの間にか気が付けばどこの企業でも女性社員が定着していくという流れになっていたように思います。
では、何故そのような動きが社会の中ですんなりと受け入れられてきたのでしょうか?それについて、自分の会社生活の中で体験したことを振り返って考えてみました。そこで思ったのですが、それはテレビの中で政府や学者が声を大にして男女平等を唱えたからでしょうか?それもあったでしょうが、決してそれが主なる原因ではないと思うのです。そもそも雇用機会均等法自体は昭和47年に成立しています。ではそれが時間をかけてじわじわと社会に浸透したのでしょうか?それはそれで一つの正解と思うのですが、本当の所は十数年前の日本の労働市場の在り方にポイントがあったのではないかと思えてならないのです。十数年前といえばすでにパソコンは各職場に導入され、仕事はどんどん効率化されていました。普通、企業は必要以上に社員は抱えないものですが、仕事量が増えるとどうしても人は増やさないといけません。しかし突然人を増やすという事も出来ません。そこで今から十五、六年程前のある時を境に大量の派遣社員が各企業に入り、世間の動きに合わせるように私の会社にも入ってきたのです。しかもその派遣さんの多くは女性でした。ビックリしましたね!多くの派遣さんはかつて色々な企業で勤めていたからなのか、はたまた高い教育を受けていたからなのか、本当に優秀な人が多かったです。今までに何人もの派遣社員の方と一緒に仕事をしましたが、“何だったら俺なんかより全然スゲーや!”という人は何人もいました。その時も思った事ですが、“世間には会社勤めしていないのみこんなに優秀な人がたくさんいるんだ・・・”と思い知らされました!社会の方の動きとしても派遣法の改正などもあったのでしょう。時の総理が労働力の確保について『街の中に眠っている優良な労働力を掘り起こし・・・』というような事を何か言及していたような気もします。そう考えると日本における女性の社会進出は理念や理屈からではなく、労働環境の人手不足という実情から来ていたのではないかと思えてならないのです。そこに政治や学者の多少の後押しもあって加速したのではないでしょうか?要は人不足待ったなし!という状況だったのだと思うのです。ちなみにアメリカのウーマンリブは発想がちょっと日本と逆だった様です。第二次世界大戦中に戦争による一時期的な人不足で女性が生産現場に駆り出され、戦後になって帰還兵に職場を渡すために職を離れたのですが、その時に女性たちが男性と同等に働けるという自信をつけた事が後の運動になっていったようです。要は社会からの人手不足による要請での社会進出では無かったそうです。日米で発想は逆であれ行きつくところが一緒というのも面白いですね。
男女を問わず誰もが働ける社会っていうのもいいですね!でも女性が働くという事で問題もたくさん出てきました。子育てとの両立なんかは大きな問題ですよね。多くの女性が働きに出る事になって職場環境は後追いでどんどん良くなっていったと思うのですが、どうしても子供の面倒は女性に負担がかかりがちという事はなかなか解消が出来ませんでした。(今でもそうだと思います。)女性に子供が出来ると、保育園の送り迎えや、そもそも子供と過ごす時間を確保するというのは至難の業ですね!何年か前にはSNSで仕事を持つ若いお母さんなんでしょうが、『保育園落ちた。日本死ね!』と書き込んで話題になりましたね。その言葉の裏には保育園に子供を入れること自体が困難な待機児童なる子供たちがいたのですね。この待機児童の問題はまだあるのでしょうが徐々には改善されつつあるようですね。
ここまで書いてみて思ったのですが、社会の変化とは不思議な感じがします。国家の在り方とは基本的には政府が議会を通じて大枠を決めていくものです。簡単にいえば、私たちの国が民主主義で、経済も自由競争を是とする資本主義経済ですね。その枠組みの中で誰もが自由な生活を営むという体制です。ですが、肌で感じる実際の社会の変化は国からの要請でされるものよりもむしろ私たちの生活の中で足りないことを後追いで付け足していくような感じがするのです。女性の社会進出という事で考えても、もし日本の労働力が男性だけで十二分に賄えていたらこんなに早くに労働市場に女性が出てきたでしょうか?私たちの国はやはり閉鎖的な所があるので、男性だけで十分に成り立つ労働環境が続いていれば世界の潮流に乗っていくようなことは無かったでしょう。現実的な問題として突きつけられたからこそスピーディーに女性の社会進出が成り立ったのではないかと思えてならいのです。
かつて池上彰さんが本で書いていたのですが、自民党の政治は結局のところ国民が望むことを何でも受け入れてやってきたと書いていました。国家として国民が嫌がる事でどうしてもやらなければならない事はもちろんやるのですが、その時には支持率を落とし基本は国民の要望に応えつける事で成り立ってきたとの事です。考えてみれば確かにそんな感じもします。そうなるとこの国を形作って方向を決めるのはやっぱり国民一人一人なのですね。そして社会の変化はその時々の状況に沿って現れる問題点をつなぎ合わせた形になっているような気がします。女性の社会進出についていうなら、労働力不足とマッチした瞬間に前進したという感じです。決して男女平等の思想とセクハラという問題解決が主導したとは思えないのです。この二つは労働力解消の問題解決の中で使われた便利な道具という感覚がしてならないのです。そうなると少子化問題はまだ日本人全体において肌感覚で悩むような問題ではないのでしょうね。その問題が目の間に本当の意味で突き付けられてきた時に本気で国民が考え出して前に進むような気がします。現段階で政府が異次元の少子化対策とか言ってマスコミでも報道されていますが、笛吹けども踊らずという感じです。ただこの先心配になるのは、少子化だけに限らないのですが、これから出てくるであろう多くの問題に直面した時に、その瞬間にマッチした即効性のある解決方法がいつもあるとは限らないという事です。良くも悪くも私たち日本人は変化を嫌いますので、自分たちで自分を変えていけないという一面が大きく足を引っ張る様な気がしてならないのです。それも皆の判断ですので、「仕方ない・・・」といってやっていくしかないのかもしれませんが、それではちょっと寂しいですね。私を含めてそれぞれの人は今を生き抜くので精一杯ですから社会全体の長い先の事は考えられないと思うのです。そうなると国家がもう少しリードする力を持っていてもいいのかな?と思わなくもないです。民主主義国家の辿る道は大きな枠組みで言うと実は私たちのその場その場での気まぐれの要望を積み重ねで、決して計画的な社会造りではない様な気がします。なんだかんだ言ってこの国で誰も自分たちの先の事を描けてないなら少し不安になってしまいますね・・・。