#エッセイ (大河ドラマから)『源氏物語より』
今年の大河ドラマ『光る君へ』の主人公はなんと紫式部です。彼女が源氏物語の作者であるという事以外は何も知らなかったのですが、それでもこのドラマは中々面白い事になっています。今回のドラマにはあまり派手さは無いのですが、当時の朝廷内に生きる貴族の人間関係と駆け引きが上手に描かれていて、本当のところはどうだったのかは分からないのですが、思わず見入ってしまうのです。放送が9月に入って、今は主人公まひろ(紫式部)がようやく源氏物語を書き始めたという所まで放送は進んでいます。実は私自身は源氏物語を読んだことは無いのですが、この題材になる源氏物語が欧米でかなり高い評価を受けているという事は一応知っていました。
私が最初にその事(源氏物語の欧米での評判)を知ったのは、数学者の藤原正彦教授の本を読んだ時の事でした。藤原教授は一年間のイギリス短期留学をされており、その時のことを基に書いた『遥かなるケンブリッジ』という紀行文の中で、イギリスにおける源氏物語の評価について触れていました。ある日、藤原教授夫妻がイギリス人のパーティーに呼ばれた時のくだりがあるのですが、そのパーティーの出席者のイギリス人のほとんどの人が源氏物語を読んでおり、その場で読んでいなかったのが日本人である藤原教授夫妻だけであった事に驚いたと書かれていました。藤原教授はその後の考察で、イギリス人にとっては、千年も昔の日本人の恋愛に関する感情が現代のイギリス人のそれと変わらないという事に驚きをもって受け入れられているのではないかという推測を書かれていたような記憶があります。
私自身は源氏物語を読んだことは無いのですが、おそらくはそうなのでしょう。では、人はどうして小説や映画またはドラマなどで恋愛に関するものに対して夢中になるのでしょうか。これから先は私自身の個人的な考察になるのですが、少し字数を割いていきます。
中世のヨーロッパで恋愛小説が花開いたのは17,8世紀の頃だそうです。その頃にバルサックやアレクサンドル・デュマなどの著名な作家が恋愛小説を書き始めたそうです。その頃のヨーロッパは啓蒙思想の発展により封建社会から民主主義への変革期で、人々の中におけるキリスト教の教義が弱まった時代です。人間は人知を超越したものに対する強い憧れを持つ生き物で、それまでは神に対する帰依という事が人々の中で大切な考えであり、神の教えが何よりも大切で絶対的だったのですが、キリスト教の力が弱まるにつけ、それに代わるものが必要だったようです。その代わりに現れたものが政治運動と恋愛に対する欲求だったとのことです。片や政治運動に身を捧げ、自由や権利を手にすることに熱意を燃やし、もう一方では解放された欲望を恋愛にぶつけるという感じだったそうです。政治に対する熱意は”善”に対する欲望であり、恋愛に対する熱意は”美”に対する欲望といわれると、『なるほどなぁ・・・』と思わずにいられない感じはします。この”善”と”美”に対する人間の欲望は理屈や理性でなく本能的な感情であるからこそ、中世のヨーロッパの人々を惹きつけ、そして時がくだった現代社会の人々の中でも大きな関心が寄せられるのでしょう。
そして源氏物語です。当時のヨーロッパの人々は、産業革命も成し遂げて自由と豊かさを手に入れつつあった自分たちこそが精神的な世界でも最先端を行くというような気概があったであろうと思うのです。だからこそ情緒溢れる味わいの深い豊かな表現で愛を語るという事は文明の発展の証であり、その様な文学を嗜むという事が彼ら自身の、言い換えればヨーロッパ人の特権と思っていたのではないでしょうか。そこに出てきたのが翻訳された源氏物語だったのでしょう。その当時の中世のイギリス社会は禁欲的なキリスト教の世界観から解放され、大衆が欲望へと向かう世界観に変わりつつあった時代であり、そんな世界観から見る千年前の不便である日本の平安社会で、生活様式も物の考え方も全く異なる文化の中に生きる人々が、(翻訳をした)イギリス人と同じような感情を持っており、物語の中で男性が女性を想い、女性が男性を想うという事が生き生きと描かれている事に驚いたのでしょう。そしてその表現の豊かさにもきっと驚かされたのだと思うのです(すいません。私は読んでいないのですが・・・)。約千年の時を経ても人間の心の在り方には普遍的な物があるという事もヨーロッパの人々に深い驚きと感動を与えたのではないかと思うのです。
時を現代の日本社会に戻して考えてみても、テレビでは”月9”とかいって今でも恋愛モノのドラマがウケているようです。ドラマの設定なんてもうどうでもいいような感じの作品も散見されます。それでも多くの人が恋愛ドラマを見るという事はやっぱり人間にとって愛や恋という事は大変興味深く、そして大切な問題であるという事なのでしょう。しかし、西洋哲学の世界でも、また現実的な政治や経済の世界でも”愛”という事はほとんど語られていないような気がします。それってもしかしたらものすごく大切な事に目を瞑っているような気がしないでもないです。恋や愛を語ることで少子化問題や高齢化社会の問題が解決出来るのかと問われれば、それはそれでチョットそれだけでは無理だと思うのですが、でも人間が根本的に大切にする感情を社会関係の議論の中にもっと入れていかないと私たちの社会が抱える諸問題はあまり上手には解決しないような気がするのです。人が人に対する愛情を抜きにした議論では、言い換えれば、財政(要はお金)やメンツだけで先の社会を語る未来はあまりステキな未来だとは思えないのです。