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愛情の履き違え

父は厳しいことが愛情だと思っていました。
度を越し過ぎてただの虐待になりました。
自分でもやり過ぎてると気付いているくせに、弱い者いじめに優越感を得て止めることができなくなっていました。

自分を守る為、父の言動を正当化し、小さい私はそのまま厳しいことが愛情だと間違った覚え方をしてしまいました。
そうしないと「私は愛されない子」になってしまうから。

厳しくされるのは愛されているから。
そう思わないと自分の価値が見出されませんでした。

だからどれだけ辛くとも、ひたすら耐えて我慢するしかありませんでした。
感覚を麻痺させて感じないようにして、怒りも恐怖も悲しみも押し殺してない事にしました。
すると喜びや楽しさ嬉しさも感じなくなっていきました。

父が亡くなった現在、自分の中に自分に厳しくする私がいます。
甘えたい、愛されたいと泣く私に対して、「分かった!愛情をあげるよ!」と言って弱点、欠点、できない事、劣っているところ等を集中してチクチク、グサグサ責め立て執拗に追い立てて「これは愛情だよ!」と平然と言うのです。

自分で自分にそんな扱い方をしていれば、出会う人も同じような扱い方をしてきて、人間関係が上手くいくわけがありません。

厳しい=愛という方程式をそれは間違いだと教えてあげないといけません。

もう癖になってしまっているから簡単に訂正はできないけど、繰り返し潜在意識に語りかけます。

間違って覚えてしまっただけだよ。
本当の愛情はもっと優しくてあったかくて心地良いものだよ。
そう言って自己否定する私に寄り添いながら抱きしめています。

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