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「どこでもいいからどこかへ行きたい」phaさんの日常との距離のとりかた。

今月11月は出張が多い。
11月が半分過ぎた今日、
数えてみると、新幹線はすでに6回乗っている。
そんな中、
東京駅で本屋さんを覗いたときに目にした
『どこでもいいからどこかへ行きたい』

帯の「家から出たらそれは『旅』だ」
という文章に惹かれ、
新幹線の中で読むことにしました。

phaさんは実はnoteもやっているんです。

『どこでもいいからどこかへ行きたい』には
エッセイの中にはとても共感できる部分がたくさんあり。
「スーパー銭湯があれば戦える」→ 私もです!
「37歳になったらサウナに行こう」→ 50歳過ぎても行っています!
それと一番共感できたのはこの文章。

僕が旅行で一番好きな瞬間は旅の終わりに家に帰る途中、バスや電車の車窓からどこにでもあるような街の風景を見て、
「ここには何千何万の家庭があるけれど、みんな僕とは関わりなく、これまでもこれからもそれぞれの人生を送っていくんだな」
という、少し寂しいような、すがすがしい気持ちになるときかもしれない。
子供の頃、自分が見ていないときも世界が普通に動いているということに不思議さを感じていたけれど、それに近い感覚だ。この世界は自分のためだけにあるのではなく、一人ひとりがそれぞれ自分の世界の中心として生きているのだ。
僕がどこにでもあるような街を見るのが好きな理由は、多分確認して安心したいのだ。どこにも特別な場所なんてないということを。

『どこでもいいからどこかへ行きたい』phaさん
p98
「Ⅰ 移動時間が好きだ」

実は私は幼い頃から引っ越し続きの人生。
今まで住んでいた街が、突然全く関係のない街になり、
そして新しい街に馴染み、友達ができ、
居場所が出来て、自分の街になるまで。
こんなお店があるんだ、こんな道があるんだ。
実はそれが楽しい。
そして何年か後にはその街がまた自分の街ではなくなる
友達から離れるということを繰り替えてしてきた。
だから、海外でも日本でも、phaさんがおっしゃっているよう
特別な場所なんてないし、
その街にはたくさんの家庭があって、そして生活している、、、
その人達と少し人生を交えることができた自分がいて。
バス、電車、新幹線、車で移動しながら家々を見ていると
本当にそんな気持ちになる。

そしてこの本でphaさんは旅の話だけではなく
phaさんは90万円で熱海に別荘を買った話や
チェーン店について、昔住んでいた場所について書いていて、
「旅」から「街」、「住む場所」にトピックが移っていく。
場所を変わること、街を変わることによって
考え方、見方、気持ちが変わる。
自分に合わない場所があっても、
「ここは自分にあわなかったんだな」と
誰のせいにもせず、自分も責めず。
日常から距離をそっと置きながら、
phaさんはそんな風にさらっと生き方を楽にしている。

さあ、次の出張では、どんな街に出会えるだろう。
場所を変えてみること、少し遠くに行くことで
少し自分の見え方が変わったりして。

そんなことを気付かせてくれる一冊でした。

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