支える言葉『無敵』の輪<前編>
テレビやラジオなどで活躍する人気パーソナリティーの矢野きよ実さんは、17歳から始めた書の世界でもよく知られている存在です。その作品のひとつに、多くの人を励ましているという『無敵』があります。気持ちを込めたものや経験、場所などについて語ってもらう連載『ココロ、やどる。』で、その書のストーリーをうかがいました。前編は、書との出会いと『無敵』の広がりーー(文・松本行弘、写真・川津陽一)
ハリウッド⁈ロック界にも⁈
「私が書いたものであっても、私のものじゃなくなった。なんかおもしろいね。ふしぎでしょ」
書家として雅号「霄花(しょうか)」を持つ、矢野きよ実さんの『無敵』。その作品をかたどった小さなピンバッジは、作者の知らないところで広がっていった。ジャーナリストの鳥越俊太郎さん、ハリウッド俳優のクリント・イーストウッドさん、ロックミュージシャンの忌野清志郎さんらが身に付けた。著名人だけではなかった。
そもそも、「絶対、私は無敵と書く、ってことではなかった」という作品だった。制作年はおぼろげだ。「35年以上前ですね。40年にはならないけど。ちゃんとした年数を聞かないかんと言ってるところ」
亡き父がのこしてくれた書道
名古屋・大須の出身。明るい名古屋弁トークで、モデルからテレビやラジオなどに活躍の場を広げていた20代のころ、書道展に出すために書いた作品だった。
書と自分を結びつけてくれたのは父だ。
「市場でグンゼのブリーフとか、おばあちゃんたちが着るような服とかを売る洋品店をやっていて、釣り師でもあったんですけどね、家に帰ってこない人だったんですよ。
私がお習字を始めた6歳のころ、たまたま帰って来たときに『はと』と書いたのを『うまいなー』って言って、文鎮を買ってくれました。
17歳になったとき、その父親が『きれいな先生がおるでよぉ、書道教室行こまい』って言ったんです。週に1回、私を迎えに来て、教室へ一緒に行って、帰りに980円のビーフシチューを食べる。それが1年続いて、死んじゃった。肝硬変で。
先生に、父ちゃん死んじゃったからやめます、って言ったら、やめなくてもいいじゃない、って筆をくれて、これで書きなさいと。書くことないって言ったら、今、心にあることを書いて、って言われて、『淋』という字しか浮かばなかった。それを書いたら、もっと大きい紙に書きなさい、となって……」
「淋しすぎて…」がほめ言葉
『淋』の作品が展覧会に出品され、著名な書家で審査員の方が「こりゃあダメだな、淋しすぎて」とつぶやくのを聞いた。
「ものすごいほめ言葉だと思った。だって私は淋しいんだから」。自分の想いを表現でき、「書ってなんかすごいな。これはできるかも」と思った。
今も、作品に書く文字や文は、事前に決めない。胸に手をあて、「ここにあるものを、自分の言葉で降りてきたものを、書いていく。じゃあ、『無敵』のときは?ってよく質問されるんですけど、なにもなかったんですよ。300枚以上書いたかなあ。その中の1枚です」と振り返る。
ピンバッジをつくったのはたまたまだった。
「松坂屋さんで10年間、書道展をやらせてもらったんですね。で、松坂屋さんから、なにかグッズがほしい、って言われたんですよ。じゃあピンバッジつくる?となって、ちょうどいい大きさの文字ってどれだろうかと決めたのが『無敵』でした」
鳥越さんが感じた『無敵』の意味
そして、2005年に愛知県で開かれた愛・地球博のときだった。
「テレビのアナウンサーの方が、鳥越俊太郎さんが『無敵』のバッジをしてる!番組でも付けてる!って言って、私のところに走ってきて、教えてくれたました。鳥越さんが、私の出演していた番組にいらっしゃったので、なんで?って聞いたんです。そしたら『僕はがんになったけれども、がんは敵じゃない。でも、自分に負けそうになるから、そうならないように付けている』って」
鳥越さんがクリント・イーストウッドさんに贈った。
がんと闘っていた忌野清志郎さんからは「おれ、もう持っているよ」と言われた。
実話が映画化された『はなちゃんのみそ汁』の監督から、闘病した主人公が付けていたので撮影で使わせてほしいと連絡が届いた。
『無敵』は勝手にひとり歩きを始めていた。
敵と戦うのではない、自分を強く
無敵の意味を調べれば「敵無しの最強の状態」という威圧するような強さを表す言葉だ。
だが、鳥越さんから、だれかと戦うのではなく、自分が強くあるための支えになる言葉、という解釈を与えられた。
「それが自分で分かったのは、10年前にがんの手術をして入院したとき。このバッジがなぜか離せないんですよ。お守りとか、なにかに効きますよとかじゃないのに。こういうことなんだろうなあと思いました」
<後編につづく>
石材店は心を込めて石を加工します。
主要な加工品である墓石は、お寺さまによってお精入れをされて、石からかけがえのない存在となります。
気持ちや経験などにより、自分にとって特別な存在になることは、みなさんにもあるのではないでしょうか。
そんなストーリーを共有したい、と連載『ココロ、やどる。』を企画しました。
有限会社 矢田石材店