「お墓がこんな力を持っているなんて信じられませんでした。あの人があそこまでやるとはねえ……」 この話は、ある男性とお墓の物語。 時間をさかのぼること1年前、私はある男性から相談を受けました。 「いとこがお墓をつくると言い出し、私のお墓を壊そうとしてきた。法的にはどうなっているんですか?」 何が何だかわかりません。 「どうされました。まずは今のご状況を教えてください」 「石屋っていうのは、みんなあんな乱暴ものか?この業界はどうなってるんだ!」 どうにも話になりま
知多半島の阿久比町にある谷性寺(こくしょうじ)はにぎやかです。お寺の行事以外に、境内や本堂などに出店が並ぶマルシェをはじめ、音楽、映画上映、人形劇、舞踊、ヨガなどのイベントや勉強会、相談会などが開かれます。のどかな田園風景が広がる街で、竹林に囲まれたお寺が人を引き付けています。矢野晋空住職(49)にお話をうかがいました。 落城に栄枯盛衰を嘆いて ――谷性寺の歴史を教えていただけますか。 「菅原道真の子孫といわれる新海氏が築いた柳審城が、阿久比町内の宮津地区にあった
テレビやラジオなどで活躍する人気パーソナリティーの矢野きよ実さんは、17歳から始めた書の世界でもよく知られている存在です。その作品のひとつに、多くの人を励ましているという『無敵』があります。気持ちを込めたものや経験、場所などについて語ってもらう連載『ココロ、やどる。』で、その書のストーリーをうかがいました。後編は、書との向き合い方や、そこに投影された経験などについて。(文・松本行弘、写真・川津陽一) 降りてくる“人生の景色” 書にのぞむとき、降りてくるもの。「そう言う
テレビやラジオなどで活躍する人気パーソナリティーの矢野きよ実さんは、17歳から始めた書の世界でもよく知られている存在です。その作品のひとつに、多くの人を励ましているという『無敵』があります。気持ちを込めたものや経験、場所などについて語ってもらう連載『ココロ、やどる。』で、その書のストーリーをうかがいました。前編は、書との出会いと『無敵』の広がりーー(文・松本行弘、写真・川津陽一) ハリウッド⁈ロック界にも⁈ 「私が書いたものであっても、私のものじゃなくなった。なんかお
「地元で働くって?」。10月8日、岡崎市立矢作北中学校で、矢田石材店の矢田敏起社長がこんなテーマで話をしました。2年生の生徒たちが対象。多感な思春期の子どもたちに向けて語りかけました。 協力8社が講話 これは、岡崎市と市雇用対策協議会、岡崎商工会議所が主催する「中学校向けキャリア教育支援事業」の一環です。社会人の講話を希望する中学校に、同協議会入会企業の中から紹介するという取り組みで、今回は8社が参加しました。企業側が8つの教室で40分間の話を2回して、生徒たちが教室
それは、ある日の午後でした。 私は珍しく、墓地に出かけず、社内に残り、お墓の図面をひいていました。 珍しついでに、その日は朝から一本も電話が鳴らず、事務方たちがパチパチとパソコンを打つ音のみが聞こえる、本当に穏やかな日でした。 図面製作で少し煮詰まってきた私を見透かすように、事務方の一人が立ち上がり、「お茶、いれましょうか?」と気を利かせてくれたので、「ありがとう、お願いします」と答えた瞬間、電話のベルが勢いよく鳴り響きました。自ら電話を取ると、 「お墓のシミって取れ
愛知県豊橋市の大円寺は遠州灘をのぞむ丘にある。海という自然の大きな力を受けたり、名を残した人たちとかかわったりという、お寺の歴史を、水野一光住職(67)からうかがいました。 最初のお寺は太平洋の中? ――大円寺の山門から見おろした先の森の向こうは太平洋ですね。この地域は豊橋市の南部になりますか? 「豊橋市の一番隅っこ、江戸時代は田原藩の高豊村といい、今は田原市との境になります。サーフィンをする人にはおなじみの表浜海岸はすぐ近くで、有名なアイドルの方もサーフィンをしに
矢田石材店の季刊誌『Hanaemi』の2024秋号を発行しました。巻頭の連載企画『ココロ、やどる。』は、テレビやラジオで活躍し、この地域で知らない人はいないであろう人気パーソナリティーの矢野きよ実さんです。書家としても知られる矢野さんの作品『無敵』の不思議なお話をうかがいました。寺院関係者のインタビューは、愛知県岡崎市の矢作地区にある真宗大谷派の正法寺です。 『無敵』の書がひとり歩き 矢野さんの『無敵』は、まさに心が宿るというストーリーです。 ジャーナリストの鳥越俊
もう一つ、お墓を建てることに関連した事例です。 仲の悪い父と息子がいたのですが、いつも仲裁役であった妻であり母である女性が、ある日突然、亡くなってしまいました。 そこで、お墓をつくろうということにはなったのですが、息子さんは洋風のお墓にしたいと主張するし、お父さんは、いや伝統的な和型がいいと言い張ります。 どこのご家庭でも、和型だ洋風だという争いはあり、たいていは最後に和洋折衷になって落ち着くものなのです。ただ、この父子の場合にはそもそもお互い相手が気に入らないもので
愛知県岡崎市の心城寺は、明治時代に地域の住民の要望によってつくられた集会所がはじまりという。お寺になる前から熱心に活動し、厚い信頼を受けていたお坊さんからつながる、天野義敬住職(66)に、お寺の歴史や現状をうかがいました。 かつて「講堂」と呼ばれた集会場 ――お寺は岡崎の南の中心地にありますね。 「岡崎市の戸崎町にある真宗大谷派のお寺です。 お寺の周りは、JRの岡崎駅や、昔は日清紡の大きな工場もあって、県内外からの新しい住民が増えて、昭和の終わりごろから、発展し
「お墓を建てる」ことと関連した話を、2つご紹介しておきましょう。 まずは、父親の家族が絶縁だったケースです。 ある方のお父さんがなくなりました。お墓を建てるということで、私はご家族に家紋は何ですかと聞くとを、誰もが「知らない」と言うのです。 なぜ知らないのかといえば、 「実は父は、○○県に実家があるらしいのですが、一度も私たちを連れて行ってくれませんでした。実家とは縁を切ったということで、交流もなく、家紋どころか実家のことはほとんど知らないんです」 どうやらご家庭の
愛知県岡崎市の胎蔵寺に誕生仏の石像がつくられました。お釈迦さまが生まれた時、右手で天を指さし、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」と唱えたという姿をかたどった像です。新しい石仏をなぜ制作したのでしょうか。野村宗臣住職(38)に想いや狙いを聞きました。 お寺のシンボルがほしい ――どうして誕生仏をつくろうとしたのですか。 「胎蔵寺のシンボルがずっとほしいと思っていました。こういうことをやりたいお寺なんだ、というのを、パッと見せて、視覚的に伝えられるといいなっていうの
自分探し、ということが流行った時期がありました。漠とした不安が若者世代を中心にあって、生き甲斐とは何だろうか、自分が人生でほんとうにしたいことはなんだろう、という疑問を抱えて、旅に出たりしたものでした。 最近は世の中がせちがらくなったせいか、いよいよ余裕がなくなったせいか、あまりこの言葉は聞かれませんが、私の高校の同級生も、この「自分探し病」にかかって、定職に就かずアルバイトでお金が貯まると海外旅行に出かけたものです。 彼に言わせると、海外に出て旅行してくると、いろいろ
全国で2番目に大きな霊柩車の会社が愛知県にあります。約100台の霊柩車を保有している名古屋特殊自動車株式会社(本社:名古屋市中川区)。矢田石材店が、お寺の本堂で開くお葬式をサポートする「お寺でおみおくり」でもお世話になっています。下村康範社長に、時代の要請に合わせながら、「大切な人が最後に乗る車」の運行を年中24時間体制で預かる取り組みを、教えていただきました。 地域の霊柩車が集められ83年目 ――霊柩車の会社ということですが、会社の紹介をしていただけますか。 「
彼がひきこもりになった要因というのは、もともと要領の悪い人間だったようですが、社会に出て働いても、何かミスをしてしまう。それで会社を辞める。そのようなことが続いていくうちに、どんな仕事をしても認められないし、どうせ会社に勤めても首になるし、ということで家に引きこもってしまったらしいのです。 今(編注:本発行の2012年当時)、彼は37歳なのですが、ひきこもりのころは家で右腕を枕にゴロゴロと寝ていたので、右肩が上がらないと言っていました。どれだけだらしのない生活をしていたの
愛知県一宮市の妙泰寺、松永寿康住職(42)は「ピンチはチャンス」と語る。繊維産業で栄えた尾張の中心都市でも若者の市外流出で檀家離れがある。一方で、ベッドタウンとして増えている新しい住民を迎え入れようと、広い視野でお寺を守っている。 眼病の守護、妙見菩薩 ――創建は1495年ですね。 「室町時代です。地元の村を興した一族の方が、日蓮宗の教えを広めたいと発願されたのがきっかけのようです。 総本山、身延山久遠寺(山梨県)の法主だった行学院日朝上人のお弟子さん、智運院日