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支える言葉『無敵』の輪<後編>

 テレビやラジオなどで活躍する人気パーソナリティーの矢野きよ実さんは、17歳から始めた書の世界でもよく知られている存在です。その作品のひとつに、多くの人を励ましているという『無敵』があります。気持ちを込めたものや経験、場所などについて語ってもらう連載『ココロ、やどる。』で、その書のストーリーをうかがいました。後編は、書との向き合い方や、そこに投影された経験などについて。(文・松本行弘、写真・川津陽一)


降りてくる“人生の景色”

 書にのぞむとき、降りてくるもの。「そう言うと神がかっているみたいで変ですけど、想い、ですかね。それはきっと、本当にその1秒前までの人生の、生まれてから見てきたいろんな景色からなんだと思います」

矢野きよ実さん

 毎朝、これまでにかかわった人の名前を唱えるという。
 「今日もやってきたよ。ぜーんぶ言うの。だからめちゃくちゃ時間がかかる。父親は仏壇がなくて、釣りをしている写真だけが置いてあって、ほうじ茶を供えて、手を合わせる。亡くなった人の名前を全員言うの。今、生きている人も。元気で、とにかくみんなが今日もいい日で、って。今日だけでいいって。どうか少しでも優しくなれるように、と思って。ケンカもしないようにって。みんなで仲良くいられますように、って思って手を合わせる」

大須のおばあちゃんの言葉

 こう思うようになったのは祖母の存在が大きい。
 「私はおばあちゃんからいろいろ教わりました。テレビ局の人とケンカしたって言うと、お前はアホかって。一日でも早く生まれた人の話はよう聞いとけ。お前よりいっぱいの景色を見とるだろう。もしお前より後ろに生まれた人が失敗したら、お前がいい背中を見せとらんもんで、お前の責任だ、って言われて。みんな並んどると思え、って。
 あのなぁ、どんな偉い人でも、総理大臣でも、地球上の全員には会えんだろぉ。だから、今日、会えた人、横におった人、話してもらった人を大事にしろよ、と。それが私の大須のおばあちゃん」

 敵などいない、自分に負けない、と、おばあちゃんも同じことを言っていた。「だからきっと降りてきていたんでしょうね。筆を持って無敵って書いているんだから」

右胸には『無敵』のピンバッジ。『奇蹟』も

人から与えてもらう価値や想い

 どこか客観的に語るのは、押しつけがましくない創作への姿勢からだろう。
 「書で人を感動させようとして書かれる方もいますが、そうじゃないって私は思っているので。人によって想うことは違いますよね。作品は人に見られることによって、価値や想いが深くなってくるんだなあと、『無敵』から気づきました」

 今の肩書の一つは「無敵プロジェクト」の代表。
 きっかけは2011年3月の東日本大震災だった。日本赤十字愛知県支部の報道代表として発生直後に被災地へ入った。硯の産地、宮城県石巻市雄勝で「いつか、ここで書道の授業をしてくれ」と頼まれた。
 7月にすぐ再訪。子どもたちに向かい、胸に手を当て「ここにあることを、手を通して書くだけ」とだけ伝え、「心の声」を待った。自分が18歳で「淋」と書いたように。
 この「書きましょ」という活動は、被災地だけでなく、虐待や貧困などから逃れて身を寄せる児童養護施設でも続けている。書のグッズ収益はチャリティー活動に充てる。

みんなのものになった『無敵』

  実物の作品『無敵』は近くで見ると少し茶色く変色していた。
 「やけていますよね。これはいい紙じゃないんです。だって当時はお金がないから。額装もお金かけないでやってくださいって頼んで、ぜんぜんいいものじゃない。えー、『無敵』ってこんなにちっちゃいの?って言われるんですよ。売ってくださいって、ものすごい金額を示されたこともあります。でも、売れないですよね。みんなのものだから」

 『無敵』の輪は今も広がっている。

<おわり。前編はこちら


 石材店は心を込めて石を加工します。
 主要な加工品である墓石は、お寺さまによってお精入れをされて、石からかけがえのない存在となります。
 気持ちや経験などにより、自分にとって特別な存在になることは、みなさんにもあるのではないでしょうか。
 そんなストーリーを共有したい、と連載『ココロ、やどる。』を企画しました。
                        有限会社 矢田石材店

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