寺名が示す地域とのきずな
愛知県岡崎市の心城寺は、明治時代に地域の住民の要望によってつくられた集会所がはじまりという。お寺になる前から熱心に活動し、厚い信頼を受けていたお坊さんからつながる、天野義敬住職(66)に、お寺の歴史や現状をうかがいました。
かつて「講堂」と呼ばれた集会場
――お寺は岡崎の南の中心地にありますね。
「岡崎市の戸崎町にある真宗大谷派のお寺です。
お寺の周りは、JRの岡崎駅や、昔は日清紡の大きな工場もあって、県内外からの新しい住民が増えて、昭和の終わりごろから、発展してきた地域です。
古くから住んでいる人たちからは、お寺は『講堂』と呼ばれておりました」
――どうして「講堂」なんですか。
「明治20年ごろは、50軒くらいの村だったらしいですけど、村にお寺がなくて、みんなそれぞれが近隣のいろんなお寺の檀家だったんですね。村の宗教施設がほしいと思っていたところ、隣の村の真宗大谷派のご住職が50歳くらいで隠居されたという話を聞いて、同じ宗派の家が多かったので、自分たちの村に来てもらったんです。みんなでいろいろ出し合って、村のはずれにお寺に似せた集会所を造ってお迎えした、それが講堂です」
隣村から来た熱心なお坊さん
――最初はお寺ではなかったんですね。
「お寺の格がまだなかったわけです。
隠居して村の講堂に来たお坊さんは、青年会や子ども会をつくられて、熱心に活動されていたそうです。
そこで生まれた男の子は、後に、元の本家のお寺が、代が変わって跡取りがなくなってしまったので、一家そろって元のお寺に入ることになりました。うちの講堂は空いてしまったんですが、そのご住職は、隣村で近いから、ということで、毎日のように戸崎の講堂に通って、布教をなさったようです。
講堂は昭和29年にお寺に昇格することとなり、2人いたご住職の男の子のうち、弟が請われて入寺しました。それが実は私の父親です」
――お寺と住民の方とのつながりが強い感じがしますね。
「お寺に熱心なみなさんは、私のおじいさんに育ててもらった、と思っていらっしゃる人が多かったようです。
最初に講堂に来た私のひいおじいさんは法名が心外院釋義門、その子どもであるおじいさんは城山院釋義照といいますが、心城寺の名前は、お二人の法名の最初の文字、『心』と『城』から、村の皆さんがつけられたようです。
おじいさんは私が生まれる数年前に亡くなられたのですが、人懐っこい人だったようで、お寺はおじいさんの遺産で今日まで成り立ってきたような気がします」
お寺でのお葬式は当たり前だった
――心城寺は、矢田石材店が本堂でのお葬式をサポートする「お寺でおみおくり」のご賛同寺院で、今年4月にあったお葬式をお手伝いさせていただきました。心城寺でお葬式をするのは、よくあることなんですか。
「平成の初めごろまでは当たり前でしたが、今では2、3年に1回くらいになりました。今回も久しぶりでした。
昔、農家などは家や庭が広かったので自宅で葬式ができて、自宅に集まれる場所がない場合にお寺や公民館などを使っていたわけです。だんだん葬儀屋さんの葬儀場でやることが増えてきて、今は、最初から葬儀場でやるもんだ、と思われています。
自宅やお寺で葬式をやっていたことを知っている世代が先に亡くなって、知らない世代が葬式を出すわけだから、そうなりますよね」
――お寺でできると知らなければ、仕方ないですね。
「昔は、喪主の家族は棺の隣に座っているだけでよくて、隣近所の人がお茶出しから会計まで全部やってくれたものです。亡くなった人の家が恥をかかないように、派手にしすぎて無駄遣いをしないように、よく考えて、そつなく上手にやっていたんだけど、そういうシステムは壊れちゃいました。
近所や親せきに葬式の相談をするのも、つきあいがないからできないし、ご近所が喪主にアドバイスしたら、いらんことをするな、となりかねないし、よく分からないまま、みんな葬儀屋さんに頼むしかないですよね」
人とのつながりが希薄になった?
――なぜそうなったと思われますか。
「人と人とのつながりが薄くなってきたからなんでしょうね。
講堂だったころから、心城寺では子ども会を開いています。お経を読んで、その後にみんなで楽しく遊んだりする行事を、月に1回くらい開きますが、集まらなくなってきました。
以前は、友だちから、面白かったと聞いて、来てくださるお子さんもいましたが、そういうことがなくなりました。子ども同士の間でもつながりが薄くなっているのかもしれないですね。
おじいさんやおばあさんが喜んでくれるから、子ども会でお経を覚える子もいたんだけど、今は三世代が同居している家が減って、そういうこともなくなりました」
――最近は家族葬とか、こじんまりとしたお葬式も多いようですね。
「あまり人を呼ばないのなら、自宅やお寺でやればいいのではと思ったりもします。仏壇もあるし、いろいろそろっているのなら、その方が安くできますからね。ただ、今回、お寺で行ったご家族はすごく喜んでいただきました」
講堂時代からのいい関係続けたい
――講堂の時代から築いてきた地域とお寺のいい関係が続くといいですね。
「そうですね。ただ、この先は少し心配です。どこのお寺もそうでしょうけど、人とお寺との関係は薄くなって、少しずつ離れていきつつあります。みんなの気持ちがなかなかお寺の方に向きにくくなっていますからね。
おじいさんがつくったようないい関係を、少しでも長く維持していきたいと思っています」
永代供養のついた安心のお墓「はなえみ墓園」。
厳かな本堂でのお葬式を提案する「お寺でおみおくり」。
不安が少なく、心のこもった、供養の形を、矢田石材店とともに考える、お寺のご住職のインタビューをお届けします。
随時、月曜日に更新する予定です。