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【八幡宮の謎に迫る③】武神「八幡神」と有名な「古代英雄」の血脈

武運の神(武神)といわれる「八幡神」が受け継いだ、あの有名な「古代英雄」の血脈について解説します。

全国の神社の中で最も数が多い「八幡宮」の神様、八幡神(やはたのかみ/はちまんしん)とされる「応神(おうじん)天皇」は、実はあの有名な「古代英雄」の血脈を受け継いでいるのです。あの有名な「古代英雄」とは一体、誰でしょうか?

歴代天皇については歴史好きでなければ、その名前や功績などに、なかなか興味を持てないと思います。応神天皇の血縁関係について簡単に説明しましょう。

15代天皇である応神天皇は、その名を「誉田別尊(ほむたわけのみこと)」といい、母は「神功皇后(じんぐうこうごう)」です。神功皇后の方が、各地に伝承が残っていて、知っている人も多いかもしれません。

神功皇后の妊娠期間は十月十日を超えて、15か月ほどといわれています。これについては、また改めて書きます。

※歴史的には、神功皇后を15代天皇としていた時代もありましたが、現代では応神天皇を15代天皇とします。

息子である16代天皇は、日本最大の古墳で有名な仁徳(にんとく)天皇です。
父親は、14代天皇の仲哀(ちゅうあい)天皇です。

仲哀天皇の父親、つまり応神天皇の祖父は誰なのか?
13代天皇の成務天皇には、世継ぎとなる子がいませんでした。

実は、仲哀天皇の父で、応神天皇の祖父とは、、、

あの有名な古代英雄の「日本武尊(倭建命)」なのです。

日本武尊は若くして亡くなったので、その後の天皇と直接の血のつながり(血脈)はない、と思っていませんでしたか?

実は、日本武尊は古代の英雄であるだけでなく、天皇家の直系の祖先でもあるのです。その血脈を考えれば、応神天皇が武運の神とされるのも分かるような気がします。

下記の11代から16代の天皇の系譜を参考にしてください。

11代~16代天皇系譜

さて、現代では日本武尊(倭建命)は「ヤマトタケルのみこと」と読みますが、これは読み間違い、または誤訳かもしれません。

本当は「ヤマトタケ」であると、古事記伝を書いた本居宣長も読み仮名を付けています。現代の学者が「クマソタケル」や「イヅモタケル」と混同したのです。

もちろん、歴史書「ホツマツタヱ」にも「ヤマトタケ」と記されています。

古事記伝二十七巻(国立国会図書館)

間違った仮説や創作も、時間が経てば、一つの説として扱われたり、真実になってしまうこともあります。歌舞伎の物語が、いつの間にか真実のように信じられているものもあります。

教科書や、多くの人が信じていることが、実は間違っている可能性もあります。権威のある人の見解であっても、盲目的に信じるのではなく、自分で確かめることも必要かもしれません。


【イベントのご案内】世界遺産の古市古墳群「日本武尊白鳥(しらとり)陵」と神社を巡るツアーを開催しています。

応神天皇陵に隣接する最古の八幡宮「誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)」 では、正式参拝国宝拝観(鎌倉殿の源頼朝寄進と伝わる神輿と鞍金具)をします。

▶神社ツアーと講座のご案内はホームページをご覧ください。


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