ものすごく怖かったけれど、自分で選んでよかった
26歳の頃、わたしは人生最大の選択をした。
ものすごく怖くて、決めた瞬間に心臓がドクドクと早鐘を打ったことを、今でも覚えている。
生き方がわからず、虚しかった日々
高校を卒業し、地方の国立大学を4年で卒業。
語学留学を挟んだが、帰国して総合病院でフルタイム勤務を始めた頃まで、ずっともやもやを抱えて生きていた。
「とりあえず」がそれまでの人生で繰り返してきたいつものパターンだった。
大学へ「とりあえず」進学し卒業しておけば、お金に困らないだろうからと。「とりあえず」正職員になれればよいと。日々、物事を深く考えずに生きていたのだ。
心の底では感じていた虚しさに、気づかないふりをしながら。
本当は毎日が虚しくて、何に向かって生きているかわからなくてもどかしかった。自分がどうなりたいのかがわからなかった。
人生の最適解を、誰かに教えて欲しかった。
色んな本を読み漁ったけど、どこにも答えは書かれていなかった。
答えがわからないまま、容赦なく年月は過ぎていった。
このままでは嫌だ。
後悔しない人生を生きたい!
その心の叫びはわたしの中で、いつまでもこだましていた。
悩みに悩んだ日々で導き出した
わたしなりの「とりあえず」の解は
「どうせどうなりたいか答えがないんだったら、何でもいいから好きなこと、やりたいことを追求する」
だった。
「好き」が「やりたい」に繋がっていく
わたしは中学の頃から英語が得意科目だった。
勉強すればするほど、テストで高得点を取ることができた。
好きだったから、大学受験に失敗したあとも、
滑り止めの進学先で時間だけはたくさんあったから
英会話教室に通い始めたり、ラジオで英会話の練習を毎日毎日、飽きもせずにやっていた。
やればやるほど身についていくのが嬉しかった。
英会話が一通り身についてくると、今度は英語圏に留学したいという夢ができたから
イギリス・ロンドンに2ヶ月間の語学留学に行かせてもらうことになった。
ホームステイをしながら、地下鉄に乗って近くの語学学校に通う日々。
学校でできた色々な国の人たちの出会いは
とっても刺激的で、狭かった世界がぐんと広がった。
英語は、もっと話せるようになった。
大学卒業後にも、イギリス・オックスフォードに約1年間留学させてもらった。
英語は、ペラペラとはいかなかったが
もっともっと話せるようになった。
帰国後、総合病院に就職して検査技師として働き始めたあと、
その留学経験が今度は思わぬ選択に繋がった。
「ひとりで世界一周の旅に出る!」と。
それが、26歳の時だった。
英語を勉強したい、話せるようになりたいという気持ちが語学留学に繋がり、
語学留学での経験が、世界一周に繋がったのだ。
そして、世界一周へ
その頃のバイブルは沢木耕太郎さんの「深夜特急」で
沢木さんが26歳でユーラシア大陸横断の旅に出たことにも影響を受けていた。
2年間働いて貯めたお金をはたき、わたしは3ヶ月間の海外ひとり旅へ出発した。
行きたいところに全部行く!と息巻いていたから
結構無理のある日程になってしまったけど
本当に本当に、行けてよかったと今でも思う。
語学学校で出会った各地の友人を訪ねられたのもよかった。
若くてなんのしがらみもなかったあの頃に、行くことにして本当によかった。
ニューヨークやパリ、バルセロナなどの有名観光都市から
ペルーのマチュピチュ、モアイのあるイースター島、
ベルベル人の案内するモロッコの砂漠といった
日本から行くのが難しい秘境のような場所まで
興味の赴くまま、バラエティに富んだ選択をした。
カナダのトロントで、パスポートと財布の入ったバッグをすべてファーストフード店の椅子に置き忘れてしまったり
無計画に現地入りしたら安いホテルが空いておらず、高いホテルに泊まるはめになったり
ペルーで現地の語学学校時代の友人に連れて行ってもらったクラブでワインを飲みすぎて寝込んだり
色々なことがあったけれど、なんとか乗り越えることができた。
こんなわたしでも、一人で3ヶ月間海外を旅することができたのだ。
それは大きな自信と心の支えになり、同時に
人生観をまるごと変えてしまった。
それまで自己否定が強く、失敗が怖くて努力することすらできなかったわたしだったが
「わたしにでもできる」と思えたことが、人生最大の選択に繋がった。
ものすごく怖かったが、今でも本当によかったと思える選択に。
医師になりたい
わたしは18歳の頃、何のモチベーションもなく医学部を目指していたことがあった。
高校では割と好成績なほうだったから、完全に受験を舐めていた。
結果、大失敗し簡単に諦め、滑り止めの大学にあっさり進学することにしたのだ。
医者なんて自分には無理だったんだ。なれるわけがない。医学部になんて入れるわけがない。
諦め切ったつもりだった。
が、26歳で世界一周から帰国したときに
見える景色がガラリと変わった。
わたしなんて、の自己否定から
わたしにだってできる、へ。
自分に対する意識が変わった結果
思ってもいなかった選択肢が浮かび上がってきたのだ。
失敗が怖いから、努力もしないで最初から諦める人生だったけど
そんな人生に終止符を打つことにした。
そうして、医学部受験を決意したのだ。
決めたときは、ものすごく怖かった。
26歳無職。いつ受かるのかもわからない、受かる保障もない。結婚は?出産は?
不透明な将来を思い怖かったが、医師になることに挑戦せずに生きることのほうが
もっともっと怖かったのだ。
受験勉強を開始
26歳の冬、医学部受験のために勉強を始めた。
不思議なことに、勉強は苦にはならなかった。
あの頃の自分には、自分ではない何かが取り憑いていたのでは、と今でも思っている。
勉強を開始し1年後、人生2回目のセンター試験を受験した。
結果は振るわず、全科目の82%しか取れなかった。
医学部に合格するには、86%程度は最低でも取れないと厳しいと言われていたのだ。
しかしその頃のわたしには、取り憑いていた何かがいつも囁きかけていた。
「諦めるな。とにかくベストを尽くせ!」
と。
後期試験を受けるには点数が足りず、受験資格をもらえなかった。前期試験1回だけで勝負するしかなかった。
とにかく、
後悔のないようにするにはベストを尽くすしかない。
わたしは諦めずに2次試験に備えた。
驚きの結果
すべてが終わった後。
今年は無理だろうな。また1年、頑張らせてもらおうか・・・。
99%駄目だろうと思いながら、パソコンで合格発表の画面を開いたら。
あったのだ。わたしの番号が。
何かの間違いだと思った。
信じられなかった。
入学金を支払い終わるまで、何かの手違いではないかと疑っていたくらいだ。
わたしは、医者になれるんだ。と、
入学手続き中にやっと実感が湧いた。
受験を決めて本当によかったと、心底思った。
ネガティブな物事や意見に左右されず、自分で決めてよかった。
医学部受験するなんて思っていなかったけど
受験を決める前まで英語を勉強し続けていたことで、英語の試験が
かなりうまくいったことも勝因だった。
全てが繋がっていたのだ。
自分で決めてよかった
人生は、真っ暗な洞窟のようだ。
未来は予測不可能で、暗くて何も見えない。
立ち止まることは許されず、時は容赦なく過ぎ去っていく。
背中をぐいぐい押されながらも、どこへ進んでいるのかはさっぱりわからない。
死ぬまでわからないのだ。
それでも、自分の心の声をしっかり聞きながら歩いていると
時々懐中電灯で照らした先に、新たな通路の入り口がほんの少しだけ見えることがある。
誰かが立って手招きしていることもある。
少ししか見えないから、飛び込むのは本当に怖い。
何があるのか、何が起こるのかは誰にもわからない。
わからないけれど、自分で選んで飛び込んでみるしかないのだ。
飛び込んでみた先には、いつも思ってもみなかった世界が広がっている。
わたしは、26歳の何もなかったときに
医学部受験することを自分で決めてよかったと、今でも心から思っている。
もがきながらも、自分の好きなこと、やりたいことを選択していけば、新たな道が開けるのだ。
何が功を奏するのかもわからない。
振り返ってみると、あの選択があったから今の道がある、ということが人生には散らばっている。
次のキャリアを悩む今も、自分自身に言い聞かせている。
頭で考えるのではなく、心が喜ぶ好きな道を選ぶのよと。