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盲目の子猫を保護した18日間
事の始まりは、8月8日の暑い朝だった。
あの朝から、短くも濃密な18日間が始まったのだ。
鳴き叫ぶ猫
8月8日の蒸し暑い朝のこと。
2階の職場に出勤するため外階段を登り始めた時だった。
突然、どこからか大きな鳴き声が聞こえてきて驚いた。ミャーミャーミャーと、強い調子で鳴き続ける声だった。それは、助けを求める悲痛な叫び声のように聞こえた。
職場の玄関に近づいていくと、目の前に手のひらに乗りそうなくらいの小さなキジトラの子猫が姿を現した。
「え?猫?なんでこんなところにひとりで?」
「親は?兄弟は?」
ドキドキしながら様子を伺ってみた。
ガリガリに痩せている。でも元気に鳴いている。大きな病気はなさそう。きっとお腹が空いているんだろう。親猫とはぐれてしまったんだろうか。ああどうしよう。
様々な思いが一瞬で頭の中を駆け巡った。
そんな心配をよそに、子猫は鳴きながらあちらこちらをウロウロしている。
様子がどうもおかしい。
この子、目が見えていない・・。
盲目の子猫だった。
こっちだよと声をかけるのだが、まっすぐこちらに寄ってくるのではなく、微妙に方向がずれてしまう。階段の踊り場にいたので、落ちたり何かにぶつかったりしてしまわないか、見ていてとても危なっかしい。
そうは言っても、もう始業の8時半だ。
先に出勤しただれかが置いたであろう、踊り場の片隅に水を入れた紙コップが目に入った。
「これから、どうする?」
職場に入り猫にぶつからないよう、ゆっくりとドアを締めた。
その後1日中、大きな声でミャーミャーと泣き叫ぶ声がドア越しに聞こえるのだった。
「どうする?どうしたらいい?」
その日の仕事は手につかなくなってしまった。
命を繋ぐ
その日の午前中は、職員3人で外回り。
隙間時間を見つけ、コンビニで猫用の餌を買った。普段全く買わないものだから、どこにあるのか、何を買えば良いのか戸惑ってしまった。
ひとまずウェットで食べやすそうなものを選び、職場へ帰宅。外階段を登っていくと、やはりミャーミャーと鳴き叫ぶ声が鼓膜を刺激した。ずっとそこにいたようで、少し安心した。
目の前はカーブの強い道路になっていて、車の交通量が多い場所。ここを離れてしまうと危険だ。どこかに行ってしまう前に、安全な場所に保護しなければならなかった。
何はともあれ、まずは腹ごしらえだ。
買ってきたばかりの餌を袋から出し、紙コップを切って作った即席のお皿に餌を盛った。盛り始めた瞬間から、子猫はすごい勢いで貪るように食べ始めた。時々唸り声を上げながら。
少しだけホッとした。元気に食べているし、体調も悪くなさそうだ。
どうなるかはまだわからないけど、まずは命を繋ぐお手伝いをしなければ。
餌をあげた瞬間に、この子の今後の責任はわたしにかかってくると、覚悟を決めた。
そう思っていたのは、わたしだけではなかった。
病院に連れて行きます!
猫や動物を飼っている、または飼っていたことのある他の職員達も、同じように子猫の行く末を案じていた。
保護したら、まずは病院に連れていくべきだろう。そう皆で話した。普段から色々な保護猫動画を見ていたから、病院には早めに連れて行ったほうが良いと思っていた。
フルタイム勤務なので、仕事終わりか休日になったら受診しようと思っていたが、現状では階段の踊り場に子猫はひとりきりだ。全てを早く進めなければならなかった。里親や受け入れ先を探し、それまでの間は安全な室内で保護することが先決だった。
幸い、子猫がやってきた翌日に午後休だったAさんが「病院に連れて行きます!」と申し出てくれた。
1回目の受診をしてもらっている間に、LINEグループ「ねこちゃんの今後を考える会」を立ち上げた。
最終的には5人で情報交換しながら、子猫のお世話、保護先探し、通院治療をすることになった。見かねた職場の上司も、医療費を負担してくれると申し出てくれた。
病院へ
翌日、早速子猫を動物病院に連れて行ってもらった。
女の子だと思っていたら、なんと男の子と判明。
生後2ヶ月程度。猫エイズと白血病は陰性、猫風邪で目と鼻に症状あり。抗生剤、ノミ駆除薬、点眼点鼻薬が処方された。
肝心の眼だが、左眼はもう回復は見込めないということだった。右眼はめやにが多かったものの、どうにか開きそうに見えた。
その日から職員達が餌やり、内服を分担してのお世話が始まった。
当初から、主に同僚Tさんが保護団体をいくつか当たってくれていたが、空きがなかったり連絡がつかなかったりだった。職員皆の家族、友人知人にも引き取れる人が現れない。
実家の母にも聞いてみたが、難しいとの返事だった。先住猫2匹もいるし、両親は高齢だし、無理は言えなかった。
一時保護へ
子猫は日に日に元気になっていった。
最初は階段を降りられず、上に登ることしかできなかったのに、下まで降りられるようになってしまった。車道が近いのでとても心配だった。
そこで、なんとか下には降りないようにしようと、簡易的に階段に段ボールのバリケードを作ってもらった。
それでも心配は尽きない。夜にひとりぼっちで過ごさせることになり、気が気でなかった。
やがて週末になり、仕事が休みとなっても点眼点鼻・内服・餌やりを職員同士で分担し、代わる代わるお世話をした。お世話に向かう時、子猫が姿を現すまでは毎回緊張した。ちゃんと元気でいるかが心配だった。
3日間そんな状態だったが、幸いにもその場を離れずにいつも元気に餌を食べてくれた。
そして、嬉しいことにどうやら右眼が見えてきていることに気がついた。右眼が半分以上開き、会いに行くとちゃんとこちらに向かってきてくれるのだ。栄養をつけ、点眼・内服治療を続けていくうちに右眼は徐々に回復したのだった。
盲目の子猫は、片目の見える子猫になった。
子猫が来て3日目の8月10日の朝のことだった。実家の母から一本の電話が入った。
「飼うことはできないけれど、預かることならできるよ」
すぐにLINEグループに知らせると、みんなとても喜んでくれた。負担だったろうに、母には本当に感謝している。
翌8月11日の朝、ホームセンターへ行き猫用トイレ、餌、おもちゃ、餌用のお皿を見繕い、前日に受け取った実家の動物用ケージを車に乗せて職場に向かった。
子猫はこの日も元気に鳴いていた。
「おうちに行こうね」
そうして一緒に実家へ向かった。
実家での生活
猫風邪を先住猫達に移さないように、また実家は物があちこちに多くて安全面も心配であることから、大きめのケージを置いた隔離部屋で暮らすことになった。
初めて設置した猫用トイレだったが、子猫はきちんとそこで排尿も排便もできた。小さいのに、ちゃんとできるのだ。そんなことでもいちいち嬉しかった。高齢の母も元々猫好きなので、内服・点眼・餌やりと毎日しっかりお世話をしてくれた。
わたしも仕事終わりにちょくちょく実家へ寄って餌をあげたり、トイレを片付けたりお世話をしつつ、一緒に遊んだ。実家に来た頃は、ひもの先についた羽の形をしたおもちゃをぽんと目の前に垂らしても、遊び方を知らなかったようできょとんとしていたが、毎日続けるうちにひとりでも遊ぶようになった。
日に日に動きが活発になり、上手に遊ぶようになる子猫が愛おしくてたまらなくなった。小さな身体で肩に飛び乗ってくるのも、爪がちょっと痛かったけどかわいらしかった。
職場に現れた日から、とても人懐っこくて元気いっぱい。このまま一緒に過ごせたらいいなと思っていた。無理なのはわかっていたけど。
このまま実家で飼うわけにいかないだろうか・・。と様子を伺っていたが、やはりどうしても無理ということだった。無理強いするわけにはいかなかった。わたしの家は賃貸マンションで、ペット禁止物件のため飼うことができなかったのだが、だからといって実家に押し付けるわけにはいかない。
しばらくそんな日が続いたある日、職場のTさんからLINEグループに連絡が入った。
「受け入れできる人を見つけました!」という朗報だった。
嬉しかったが、内心は複雑な思いだった。
受け入れ先候補の苦悩
受け入れできると言ってくれた方のインスタグラムアカウントをフォローしてみた。
個人で猫の保護活動をしている方だった。TNR(T:捕獲、N:不妊・去勢手術、R:元の場所に戻す)を、ボランティアでおこなっている人だ。里親探しもしてくれているらしい。過酷な状況にある猫たちの写真が、毎日アップされてくる。金銭面での苦労がうかがえる。「余裕がない」という言葉も漏らされている。
この方の負担になってはいけないのではないか。
そう強く感じた。
職員たちともそう話し、並行して他の団体への保護依頼もそのまま続けてもらうことにした。窓口になってくれたTさんには本当に感謝している。
この受け入れを検討すると言ってくれた人は、9月になるまでにはなんとかしてみます、というお返事をもらっていたので少し猶予もあったのだ。
そうして探してもらっていたある日、時間を置いてある団体から返信がきた。「帰省していたので返信が遅れました。猫ちゃん預かれます。」という、こちらも朗報だった。この団体のほうが、最初の人より余裕がありそうだった。ここに、ぜひお願いしたい!と強く思った。
そして、その日は突然訪れた。
「ありがとうございます。いつお連れすればよいでしょうか」と問い合わせていたのだが
あろうことか、このメッセージを送った直後にわたしはうとうとと昼寝をしてしまったのだ。重要な返信が来ていたのに。
目を覚ましてDMを見て、飛び起きた。
「このあと〇〇動物病院へ行くので、急ですがそこでお会いできますか?お預かりします。17時頃になります」
「へ?今何時?」
時計を見ると、ほぼ17時ではないか。
「遅れるかもしれませんが、準備します!」と大慌てで返信。大急ぎで着替え、子猫がいる実家へ車を飛ばした。
飛ばしながら、心の底からじわじわ湧き上がるものがあり、涙腺から漏れ出した。
展開が早い。早すぎるよ。
ただ、そう返事がきたからには動かないわけにいかなかった。受け入れの空きがなくなってしまうかもしれないし、母もお世話に疲れてきていたから。だから、仕方なかった。
子猫がひとりで職場にやってきてから、実家に移るまでや、実家に来てからのこと。短くも濃い日々が走馬灯のように駆け巡った。
寂しい。けど、嬉しい。混じり合った色々な感情が、溢れて止まらなかった。
一時保護してから18日後のことだった。
別れ
実家に着くと、急いで子猫を連れて行く準備をした。母も突然の展開に戸惑い、寂しそうだった。そうとも知らず子猫は、いつものようにわたしの顔を見るなりニャーニャーと元気に鳴いている。ケージに子猫を入れ、余った餌を袋につっこみ、行ったことのない動物病院をGoogleMapで探しながら向かった。
その動物病院は、普段から車で通る場所にあったので驚いた。外観は落ち着いた色調でシックで、とても動物病院には見えなかったのだ。
駐車場で待機していると、一人の女性が走ってくるのが見えた。「中に連れていきましょう」と言われ慌てて子猫の入ったケージを彼女へ託し、後を追って院内へ向かった。
彼女は2匹の猫を受診させており、その合間に子猫を受診させてくれ、引き継ぐ手はずを整えてくれた。できていなかった便検査をしてもらい、陰性確認をし待ち時間に少し話を聞くことができた。
何十匹もの猫を一時保護し、お世話しているとのことだった。当然ボランティアだ。里親は県外へ依頼することになるだろうと聞き、驚いた。県内だけではなかなか見つからないのが現状らしい。
会計が終わり、いよいよ子猫とお別れの瞬間がやってきた。病院の待ち時間も、ケージの中でとてもおとなしく待っていてくれた。じっと見つめると、かわいらしい右眼もこちらを見ていた。
さよなら。
駐車場でケージ越しに鼻先に触れ、さよならをした。里親さんが見つかったわけではないし、この先も病院受診、避妊手術とケアは続く。今は涙を流すときではないから、心の奥底に思いを引っ込めた。
「幸せになるんだよ」
そう声をかけた。
子猫がくれたもの
そうして、盲目の子猫を保護した18日間は幕を閉じた。8月25日のことだった。それまで経験したことのない、貴重な宝物のような日々だった。
子猫が現れてから、保護団体へ託すまでには多くの人が関わった。現れたのが職場だったから、一人で抱え込まず職員達で役割分担しお世話、通院、保護先探しをすることができたのは幸いだった。家族の協力も得られ、費用も分担することができた。多数の保護猫を抱えているのに、引き取ってくれた団体さんには本当に感謝している。関わる中で、人の温かさをすごく感じることができたのだった。
子猫の存在そのものも、わたしにとっては希望になった。見えなかった目が片方だが見えるようになり、元気になって遊べるようになったことが嬉しかった。小さな身体で、生きるために鳴き叫んでいた猫の生命力、その後の運命を動かしてゆくエネルギーの強さに心を動かされた。
ただ、美談で終わらせてはいけないと思った。
動物愛護センターや民間の保護団体が日夜保護やお世話をしているが、まだまだ野良猫は多いようだ。最初に受け入れできると言ってくれた方の、自らのお金や時間、労力を犠牲にして保護活動をしている様子には頭が下がる思いだ。そんな方々は、他にもたくさんいるのだろう。
保護猫活動に対する思いややり方は、いろいろだ。全く興味のない人もいるし、保護する人、TNR活動をする人、寄付する人もいる。様々な関わり方がある。わたしはすごく気にしながらも、今まで何もしてこなかった。
それが、今回のことで変わった。
子猫の一時保護を実家へお願いしたのは人任せではあったけど、それ以外に初めて保護団体へ寄付をしたのだ。小さな一歩だけど、初めて行動に移せたのだ。小さなことでも、1人ひとりが気づいて行動することは大きな改善に繋がるはずだ。
ただ、野良猫まわりの現状は悪いことばかりではなく、少し良いデータも見つけた。
当地域の野良猫の殺処分数は2009年は4531匹から、2022年は203匹まで減少しているそうだ。地道な保護活動、TNR、飼い主の意識の変化が影響したのだろう。
子猫と別れた8月25日は、個人的な話になるがわたしの誕生日だった。
今回の出来事は、あの子がわたしにくれた誕生日プレゼントな気がするのだった。
ありがとう、ゲンちゃん。