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悩んでいることを口にするのが苦手なママがやっていた「もう限界」のサイン。

悩んではいけない!

だから、
ポジティブに変換したり
まだまだやれる!とお尻をたたく。

そんな方法を選択していた。



くよくよしないの!
今やれることをしてみなさい!
お母さんも頑張ってるのよ!


ネガティブなことが起きたら
弱音なんて吐かずに
ひたすら前を向く。

これが母の教えであり、
当たり前になっていった。


でも、
この方法でうまくいかなかったのは
「子育て」だった。


なんかうまくいかない…
あれこれやってるのに…
もう限界な気がする…


今から8年前
双子の娘を目の前にして
そんなことを常に思っていたのだ。


でも、
そんなネガティブを
出せない。
出してはいけない。


そう思い込んでいるから、

産後によく聞くやつだよね。
もう少ししたら落ち着くはず。

みんなも頑張ってるから
わたしだけじゃないはず。

母親になるって、
こういうことだよね。

もう少し工夫してみよう。
何かいい方法があるはず。

いつもの癖で
前に進めるように
自分をコントロールしていた過去がある。


でもね、

本当は

限界だったし
きつかった。

極限まできていたのだ。



頼りたかったし、
ずーっと双子と家の中にいることが
しんどかった。

鳥かごの中にいるような
窮屈な状態で

ひたすらに
毎日のやるべきことをこなす
育児ロボットのようだった。



悩んではいけない

そのルールは
わたしをさらに苦しめた。



悩みをもつこと
悩みを感じてしまうことに

嫌悪感や罪悪感がうまれたのだ。


「こんなわたしはダメなんだ」
「どうかしちゃってるんだ」
「母親失格だ」


前向きであれ!

そのルールが
自分をギュッと苦しめていた。



双子の育児記録を退院後も
病院でもらったノートに書き続けていた。

そんな行為は
あとにも先にも
はじめての双子育児のときだけだった。


看護師という仕事柄
そして、
書くことが好きな性格もあり 

何時に何をしたのか
便がいつ出たのか
ミルクをいくつ足したのか
離乳食で何を食べたのか
おっぱいの張りがどちら側にあるのか

それはそれは事細かに
書いていた。


ある日、
仲良しの友達が遊びに来た。

そのノートをみて
こう言った。


「すご〜い!めっちゃ書いてる!」
「大変じゃない?」
「まるで看護記録じゃん!」


その言葉に

「二人いてどっちがどっちかわからなくなるから、忘れないように書いてるんだ〜」

きっと
そう返した。


でもね、

本当は…

「もう限界…」
「大変なの…」
「しんどいよ…」


この言葉たちを
口にしたかったわたしがいた。


いまこれを書きながら
スーッと涙がでてきた。


どれほど自分に
たくさんの我慢をさせてきたのだろう。
大好きな友達の前で
グッと我慢をして
平気なフリをしていたのだ。



ネガティブなことを言ってはいけない

このルールは、
わたしに感じることを
ストップさせていたのだろう。


まるで仕事のように
子育てをこなす。

感情を使わないように
ルーティン化する。

それが
弱い自分を見ずに済む
そのときのベストな選択だったのだ。



そばにいた
祖母も母親もがんばり屋さんだった。
弱音なんて吐かない
前向きな明るい女性だった。

たまに
びっくりするほど爆発する。
きっと我慢の限界だったのだろうと
今なら理解できるわたしがいる。



だから、
ネガティブへの対処法が
グッと耐えてがんばることや
感じないように
しゃかりきになることだった。

別の方法を知らなかったから
分からなかっただけ。


だからこそ、

「弱音を吐いたっていい」
「助けてと伝えてもいい」
「手伝って欲しいと頼っていい」

こちらの方法を
選んでも大丈夫なことを

子どもたちに見せていこう。

そう感じている。

「いま〇〇だと感じている」
シンプルに現状を伝えよう。


選択肢は
多いほうがいい。

そう思う。


どちらを選んでも正解だし、
自分のやり方を見つけていけばいい。


「お母さん、今日一人なんだ」
「手伝ってくれると嬉しいな!」
「ゆっくりしてもいい?」
「頑張りすぎて疲れちゃった」


禁止していた言葉を
子どもたちが言わせてくれている。


子どもを産んで
今までできなかった方法を
チャレンジすることができている。

ありがたい。


窮屈にさせてしまうのは
自分だし、
それを緩められるのも
自分。


自分のためのセルフケアって、
いつまでも大切なこと。

そう感じている。



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