祖母
今回はなぜか祖母のことを思い出したので書いてみようと思います。
母方の祖母の話なんですが私が物心ついた時から耳が聴こえません。補聴器はつけているけれどYESorNOではない質問に「うん」って言ったりする。だからほとんど聴こえてなかった。昔は聴こえてたみたいなので声も普通に出せるしきちんと発声もできる。何を話しているかは分かる。こちらの声や音がただただ聴こえないだけだ。なのでほとんど筆談で会話している。
そんな祖母が私が上京するときに声で(筆談ではなく)言ってきたことがある。
「仕事から家に帰ったら必ずありがとうを言いなさい。手を合わせてね。声に出したほうがいいけど心の中で言ってもいいよ。とにかく今日、会った人、使った物、の名称をつけて。◯◯さんありがとうって。思い出せる限り。10個くらい言えるといいわね。」
宗教っぽい?笑 でも普通のばあちゃんです。
うん。忘れてる。今の今まで忘れてた。笑
昔に一度、思い出してFacebookに書いたかな…?くらい。
これを言われたのが18才のとき。それから20年以上経ってようやく何となくだがそれらの意味みたいなものを理解し始めた。でも毎日何かをやり続けることはそんなに簡単ではない。しかもこれを毎日やったとて結果が目に見えないことに対してだ。10代20代の頃のこの私ができるハズがない。
「上司や先輩に叱られたり怒られたりしたときに特に言った方がいい。」と言われたので何故か?と問うと「その上司や先輩のことを嫌だなと思わなくなる。叱ってくださってありがとう、怒ってくださってありがとう、と。そうするとその人との関係性が円滑になるし、まず悪くなることはない。」と。
仏かっ!
その頃から20年以上経ってきっとたぶんちょっと大人(祖母)に近づいているはずなのに気に入らない人とかは心の中でムカつくとかどっか行けとか酷いときは死ねばいいのにって思ってる。
本当に私はこの人の孫なのか…?耳が聴こえないから仏のようになるのか…?
確かに祖母には陰口、悪口など聴こえてない。もちろん、楽しいことも聴こえてないのだが…。
そうなると仏のような人間になるのか…?
親戚が集まり楽しくわいわい、やいのやいのってやってるのを聴こえなくてもニコニコしながら見てる。そのときは本当は聴こえてるのでは?って疑うときもある。
そう、祖母にとっては目から入ってくるもの、目に見えるもの、手や皮膚にあたる感触、口に入る物、が信じられるものであり信用できるものなのだろう。
でも目に見えない何かを信じてありがとうと言いなさいと言う祖母。そして目に見えないからこそ何かが変化したりするということを孫に伝えたかった祖母。
まだまだそこの仏のようなところまでには到達してないがほんの少しだけ…たぶん祖母の10分の1も理解してはいないだろうが何となく伝わったということ。
祖母のことを書いているとなぜか目頭が熱くなり、ウルウルしてしまう。
でもそれはダメなこと。むしろ失礼にあたるかもしれない。
なぜなら100才を越してなお、祖母は健在なのである。笑
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