Withコロナでの「人権保護」
コロナ禍で出てきた、刺激強めの、且つ物議をかもしている争点、所謂人権と国家権力の鬩ぎあい。今回は国際人権と日本政府の対応について書いてみたい。
日本政府は2020年3月以降、上記記事のように、コロナ感染防止対策の一環として、永住者・日本人との配偶者、定住者を含めた外国籍の入国を制限している。足元では、再入国許可を持って7月24日以前に出国され、該当する外国籍の方への日本への再入国は緩和されたものの、これから先外国籍の方が日本を一旦出国すると、再入国はかなりハードルが高いものとなる模様。またこの制度がどれだけ続くかも、正直不透明である。
国際人権として「?」とみられるこの制度の背景について、下記記事によると、日本への入国に伴う空港などでのPCR検査数量に限りがあり、コロナ前のような往来では検査体制が追い付かない。また日本国籍の一定の国々とのビジネス来訪も検査対象になるなど、海外との往来に関する制限緩和のさじ加減が難しい、ということでもある模様。
永住権の方が日本に再入国できない、ボトルネックが本当にPCR検査数量の上限であるのならば、それこそ航空会社・空港運営会社と共に、対処方法を数か月掛けてでも考えていけるような気はするのだが、それは楽観的な見方なのだろうか。
個人的には、単純な検査数量のみならず、その後の隔離施設の用意や”もし陽性だったが、後日連絡が取れなかった”という想定での対処も含まれると推察する。日本では、政府側に(それなりに)考え抜かれた制度設計の執行が1日目から求められ、制度に欠陥が見つかると、合いの手を入れる?ように、メディアや世間から批判される一方で、例え上手く制度設計できても賞賛の声は、批判可能性の確率に比べたら、圧倒的に少ないと考えられる。
最初の写真や上記のNote投稿のように、緊急事態宣言後のコロナ禍において、日本の多数はコロナ感染抑止(公衆衛生)の為なら、一定程度の行動制限(人権制限)は受け入れる、といった状態がみられ、所謂「公衆衛生>人権制限」、といった社会的価値が根底に流れている、という考えも少しはあるだろう。
コロナを通じて、従来の個人移動の自由が重要な人権概念の一部である(且つ今までの状況は恵まれていたんだな、とも感じる)と共に、広域の意味での「人権保護」には現地の社会風土や制度設計、如いてはPCR検査量や隔離施設の数など、一見人権とは全く関係ない要素も、影響力があるのかな、と感じる。