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滝野沢友理「『英日バイリンガル 現代ゴシック小説の書き方』(研究社)について」

今回は原稿チェックという形でほんの少しお手伝いさせていただいた『英日バイリンガル 現代ゴシック小説の書き方』(研究社)をご紹介いたします。

「~小説の書き方」というタイトルの本書は、ブライアン・エヴンソンさんの短篇(4篇)、エッセイ(2篇)、柴田元幸先生との対談で構成されています。
 そこにあの横尾忠則さんの代表作のひとつである装画が添えられているとなると、もはやどこが推しなのかわからない状況ですが、本書の編集者であり翻訳講座で講師を務める金子靖先生のもとで学んでいる私たちにとっては、勉強会の課題として自分でも訳した短篇を柴田先生の註釈・対訳付きで読めるというのが一番の魅力ではないかと思います。勉強会の時に自分の訳と講師訳を比べて落ち込んだのに、またさらに落ち込むのか…という怖いもの見たさ的な魅力ではありますが。
 また4篇のうち3篇は本書のために書きおろされた作品ですので、一般の読者の方にとっても学習書としてではなく小説としてエヴンソン・ワールドを十分お楽しみいただけます。

 お楽しみという点では、エヴンソンさんのファンの方々にとってはエッセイ(こちらももちろん書き下ろしです)が一番かもしれません。「幼いころ母親が、よくベッドタイムにポーの短篇を読んでくれた」という驚きのエピソードからはじまり、日本の小説やアニメにも精通しているエヴンソンさんならではのお話もうかがうことができます。
 翻訳に携わっている者としては、『「鬼滅の刃」無限列車編』をご覧になったことに触れられている場面が印象的でした。「日本では鬼を打ち負かすには首を斬り落とすのが普通と考えられているのか」、「善い鬼の禰豆子はなぜいつも竹の切れ端と思しきものを口につけているのか」、「私が日本の鬼についてもっと知識があれば納得できてしまうのか」等々さまざまな疑問に言及されていて、たしかに私たちも勉強会では「この場面はネイティブなら誰でも知っている前提知識が下敷きになっているのか」といった話をよくします。でもいざ逆の立場になって問われると、ネイティブの知識とやらが心許ないものであることを思い知らされます。少なくとも私には、鬼といえば豆を投げると追い払えるらしいという程度の知識しかありません…

 続く対談では、エヴンソンさんの素敵なお人柄がさらに全開となります。(翻訳講座の課題としてエヴンソンさんの作品を初めて読んだ時には、「こんなに怖くて暗い作品を書くのはどんな人なのだろう」と誰もがひそかに恐れていましたが、受講生ひとりひとりの感想に温かいコメントをくださるほど優しい方です!)
 対談の中身は読んでからのお楽しみということで裏話的なお話を少しさせていただくと、対談の動画を拝見して柴田先生の凄まじい語彙力に衝撃を受けました。
 もちろん偉大な翻訳者であることは百も承知でしたが、それでもかなりの速度で流れる会話の中で、blurb, dichotomy, disconcerting…このような単語がすらすらと口から出てくるお姿を目の当たりにするのはまさに衝撃です。台本は一切なし。とっさの会話で、です。いったい柴田先生の頭の中にはどれほどの単語が詰め込まれているのでしょうか。

 短篇あり、エッセイあり、対談ありで本書のジャンルについては一言ではお伝えできないながらも、著者のエヴンソンさん、訳註をご担当された柴田先生、編集者として企画段階から携わられた金子先生、どなたかおひとりでも別の方だったら、本書が誕生し得なかったのは間違いありません。会社組織であれば許されないほど属人的な、でも絶対に人間にしかできない仕事の究極の形を見せつけられた思いです。
 さらにあつらえではないかと思うほど本書にぴったりな装画の「Y字路」が、職人技の極みとも言える本書に大きな花を添えています。エヴンソンさんの作品に「花」は似合わないので、「影」とでも言うべきかもしれませんが。

 私にとって、微力ながら編集協力として本書の製作過程に携われたこと、読者として存分に本書を楽しめたことは非常に貴重な経験となりました。みなさまにもお手に取っていただければ幸いです。

(翻訳者/ライター)

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