品川暁子評 ステファン・テメルソン『缶詰サーディンの謎』(大久保譲訳、国書刊行会)
ダンシング・レディーズ、黒いプードル爆弾、数学の天才少年のノート、サーディン缶を探す男――鬼才テメルソンによる奇想小説
品川暁子
缶詰サーディンの謎
ステファン・テメルソン 著、大久保譲 訳
国書刊行会
■奇妙な小説だ。全編を通して一貫したストーリーがあるわけでもなく、中心になる登場人物もいない。しかし、まったく支離滅裂な話かというとそういうわけでもなく、それぞれのエピソードは有機的につながっている。
最初にバーナード・セント・オーステルが登場する。バーナードは作家で、憎しみを原動力に執筆している。創作活動を行うロンドンには秘書兼愛人のマージョリーがいて、妻のアンは田舎に住んでいる。作家はロンドンと自宅を往復する生活をしていたが、ある日列車の中で死んでしまう。遺品整理のため、妻と愛人はロンドンで出会うが、すぐに恋人同士になる。そしてスペインのマヨルカ島に移って小さな邸宅を購入する。ふたりはいつも一緒に出かけ、ダンスホールで踊る。人々はふたりのダンスに魅了され〈ダンシング・レディーズ〉と呼ぶようになる。ある日、青年マクファーソンが訪ねてくる。大学院生で、バーナード・セント・オーステルについて論文を書いているという。青年は、文豪の瞳が何色だったかと尋ねる。だが、アンは覚えていなかった。
舞台はイギリスに戻ると、哲学者ティム・チェスタトン=ブラウンと妻ヴェロニカは、自分たちの住む地球が本物か鏡像か議論をしている。そこに教え子のマクファーソンがやってきて、バーナード・セント・オーステルの瞳の色を尋ねる。すると黒いプードルが家に近づいてきて爆発する。マクファーソンはその爆発で死に、チェスタトン=ブラウンは両脚を切断する大怪我を負って車いす生活を余儀なくされる。やがてチェスタトン=ブラウン夫妻は一人娘エマを連れてマヨルカ島に移住する。
警察の調査により、爆弾は近くに住む大使か元帥を狙ったものだったが仕掛ける家を間違えたことが判明した。主犯と思われるのは、アン(作家バーナード・セント・オーステルの妻)の母親デイム・ヴィクトリアの家に身を寄せていたアンの娘ピフィンとその仲間で、政治的な不満が動機だと思われた。
マヨルカ島にいるチェスタトン=ブラウンは少年イアンに出会う。イアンは数学の天才で、十二歳になったらオックスフォード大学に入って数学を専攻することになっていた。イアンはチェスタトン=ブラウンの娘エマを愛していると言う。ふたりはしばらく哲学や物理の話をしていたが、その後イアンは海に入るとおぼれて死んでしまう。
イアンの母親ミス・プレンティスは息子の遺体をイングランドに送り、遺灰をポーランドで埋葬しようと考えていた。イアンの父親はポーランド人のピェンシチ将軍だったからだ。遺灰はヒマラヤスギの小箱に入れていたが、ポーランドの空港の税関職員に検査のために持っていかれてしまう。困っていたミス・プレンティスを助けてくれたのは、ポーランド行きの飛行機で出会ったレディ・クーパーだった。レディ・クーパーはユゼフ・クシャク(些末大臣)に相談し、無事に小箱を取り戻すことができた。そしてミス・プレンティスはヘリコプターから散骨すると、ポーランドに残ることを決め、帰国するレディ・クーパーに息子の学習帳を託した。それは「ユークリッドはマヌケだった」というタイトルの論文で、エマに宛てたラブレターだった。
全体を通して読むと、とりとめのない小説に思える。だが、局所的に見ると短編のような美しいエピソードも多い。特に印象的なのは、第一部の五「質問に答えない方法」だ。黒いプードルと白いプードルが会話をしている。「君は選んで救う係、僕は選んではじく係」と黒いプードルは言う。爆弾による攻撃を示唆しているように思われる。それは「彼」が決めたことだから仕方がなかったと黒いプードルが言い訳する。実はこれはデイム・ヴィクトリアが見ていた夢なのだが、デイムの孫ピフィンと仲間の犯行をデイムはどこまで知っていたのだろうか。爆弾の実行犯を探して家にやってきた警察官たちから質問を受けていると、屋根裏部屋の目覚まし時計が突然鳴り出す。「質問に答えない方法、これ以上嘘をつかずにすむ方法を見つけた」とデイムはほっとする。「質問に答えない方法」とはなにか明かされないまま幕切れになる。不穏な余韻が残る秀逸なエピソードだ。
ところで、本書のタイトル『缶詰サーディンの謎』とは何だったのか。サーディン工場を探す男の姿がときどき描かれるが、物語の中心になることはない。すっかりタイトルのことを忘れたころに結び(コーダ)「彼の脚注のためのサーディンは一匹も見つからず」で事の顛末が明かされる。しかしまったく予想しない結末で、著者の頭のなかはどうなっているのかと驚かされるだろう。
ステファン・テメルソンは一九一〇年、ポーランド・プウォツクに生まれた。画家フランチシュカ・ウェインレスと結婚して絵本や実験映画製作などを行い、ポーランドの前衛芸術運動で有名になった。その後イギリスに移住し、出版社ガバーボカス社を設立。自身の小説を含む個性的な書籍を数多く刊行した。本書はテメルソン本邦初紹介となる。
(英語講師/ライター/オンライン英会話A&A ENGLISH経営)
「図書新聞」No.3666・ 2024年12月7日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。