
木下朋子評 山本文緒『無人島のふたり――120日以上生きなくちゃ日記』(新潮社)
評者◆木下朋子
「無人島」から読者へ――作家の思い、別れの挨拶
無人島のふたり――120日以上生きなくちゃ日記
山本文緒
新潮社
No.3573 ・ 2023年01月01日
■著者の山本文緒氏は、膵臓がんが発見され、ほぼ半年後の二〇二一年秋に亡くなった。本書は、恋愛小説の名手として知られる著者の、闘病の日々を綴った日記だ。
本書を読み終えた翌日、古新聞にある文芸誌の広告が目に入った。著者が八月七日付の日記に「取り寄せて読んだ」と書いていた号だった。収録されている、購入した新居での生活が書かれた私小説については「将来書かれるであろう、その新しい家で暮らす長嶋さんの小説も読みたかった」、また別の小説の作家については「お会いしてご挨拶できたら良かった」と、思いが綴られている。
自分があとどれだけ生きられるかがわかっている状況では、それより先には見られない、読めない、会えない物・事・人のことを思って辛く悲しく寂しく思うことは、わかる、とは決して言えないが、想像することだけはできる。
本書でもたびたび、家族や友人が見舞いに来てくれたり、好きなカフェに行ったりして、それがおそらく最後になるであろう、と、心の中で感謝と別れを告げたり、時が進むと涙なしには別れられなかったりしたことが綴られている。
死を前にして、人はどれだけ冷静でいられるのか。著者は小説家だ。この日記を活字にして読んでもらいたいと望んでいる。だから、読者を意識してはいるだろう。それもあり、自分を励ますという面もあるのか、「『120日後に死ぬフミオ』って本を出したら」とか、髪について「モンチッチくらいの量まで」増えてほしいとか、思わぬ軽みのある表現もされる。著者は、書きたい気持ちに助けられ、読んでくれる人がいることに感謝している。小説家であるからこその穏やかさというところもあるのかもしれない。
とはいえ、ステージ4bのがんを患っているからには悪寒に倦怠感に発熱に嘔吐に苦しみ、そのことも綴られる。がんと向き合うリアルな記録なのだ。
宣告は四月、亡くなったのは十月。その間、抗がん剤治療をやめて緩和ケアへと進んだ著者は、ご夫君や緩和ケアクリニックの人々、訪問診療の医師や訪問看護の看護師に支えられ、様々な薬を使いながら、体調のよい時悪い時が波のように移り変わる日々を過ごしている。町に出かけられる日もあれば、一日ベッドで寝ている日もある。それでも、すべて望みどおりとはいかないまでも、本を読み、人に会い、おいしいものも食べる。支えられ、できる限りのことをする。
小説家として書こうと思っていたものが書けずに終わってしまった無念はいかばかりか。「どなたか書いてくださってOKです」とテーマをあとに託しているが、そのテーマで著者の書いたものを読みたかったと思う読者も多いだろう。
闘病の日々は、コロナ禍真っ只中だ。緊急事態宣言が出たりオリンピック・パラリンピックが開催されたりと、普段とは違う現実の世界を感じ、眺めてもいる。そして思いはやはり、コロナから解放された世の中は見られないだろう、次の冬季オリンピックまでは生きていられないだろう、というところへ向かう。
著者は『恋愛中毒』で吉川英治文学新人賞、『プラナリア』で直木賞、最後の長編となってしまった『自転しながら公転する』で中央公論文芸賞と島清恋愛文学賞など、様々な文学賞を受賞している。テレビドラマ化された作品もある。『自転しながら公転する』を読み、リアルに繊細に描かれる、恋愛や夫婦、女性の生き方などが読者を引きつけることを、再認識している。
また、離婚後の一人暮らしの頃、うつ病に苦しんだ時期の日記も出版されている。本書も含めた日記の読者は、著者の思いや表現に癒され、救われることもあるだろう。
軽井沢に住んでいることもあり、コロナ禍でもあり、病気のことをあまり知らせていないこともあり、「ふたりで無人島に流されてしまったような、世の中の流れから離れてしまったような」著者とご夫君との日々は、感謝と愛情と、最後まで著者の身を離れることのない作家としての本能と意欲に満ちている。それは、まだ生涯を終えるには早すぎる一人の女性が、夫婦寄り添って過ごした最期の日々でもある。書名の『無人島のふたり』がしっくりくる。
初めて読む闘病記は、哀しいが、何か温かいものも感じさせてくれた。著者のお人柄を思い、こうした著書を残してくれたことに感謝したい。
(翻訳者/ライター)
「図書新聞」No.3573 ・ 2023年1月1日(日)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。