馬場理絵評 パトリシア・ロレンス『エリザベス・ボウエン 作家の生涯』(太田良子訳、而立書房)
万華鏡(カレイドスコープ)を覗くように――膨大な時間と労力が費やされた、ボウエンの人生を深く知るための心躍る一冊
馬場理絵
エリザベス・ボウエン 作家の生涯
パトリシア・ロレンス 著、太田良子 訳
而立書房
■パトリシア・ロレンス著『エリザベス・ボウエン―作家の生涯』は、20世紀に活躍したアングロ・アイリッシュの作家エリザベス・ボウエンの人生を紐解く一冊である。ボウエンは、彼女が生きた時代に大きく影響を受け、同時代を生きたモダニスト作家たちと同様、言葉に対する不信を小説の中で露わにしている。ヴァージニア・ウルフ、サミュエル・ベケットにも見られた「言葉は役立たず」という認識は、公的かつ国家的な宣言が空虚に鳴り響いた戦争の時代を生き抜いた作家たちに見られる思想の一つだ。
膨大な時間と労力が費やされた本書は、ボウエンの作品への理解を深める重要な研究資料であることはもちろん、彼女の作品に魅了された読者にとっても、ボウエンの人生を深く知るための心躍る一冊である。生前のボウエンは、自身に関する伝記的資料の多くを廃棄してしまっており、彼女の伝記の執筆は極めて困難な作業となっているが、これはボウエンが伝記という書物に対して不信感を抱いていたということによる。ボウエンは語る―「私は友人にさえ多くを語らない自分を知っていますし、書いたものについてもたやすく話すことはありません。外の世界についてなぜ私が話す必要があるのか分かりません。私の本をただ読めばいいのに、もしどうしても知りたいのなら―そのへんでお許しください。」
ボウエンの人生は、ボウエンが保った沈黙を語ることによってしか語ることはできない。ボウエンの作品も、彼女の人生と同様、ある種の沈黙によって貫かれているが、これは、ボウエンが読者を拒絶しようとしたためではない。むしろボウエンは、自身の作品において、「語りすぎないこと」によって読者の想像力を掻き立て、彼女の作品世界へと読者を誘うのである。
第一章「はじめに」は、ボウエンの個性を分断したアイルランドとイングランドの対立、彼女が示した伝記というものへの不信について取り上げる。ボウエンは、「統一のとれたなだらかな線を描く伝統的な伝記」を「模造品」とみなしていた。ボウエンが不信感を露わにしたまさにその伝記を執筆するにあたり、筆者はボウエンの作家としての姿勢を尊重しながら、彼女の作品に影響を与えた彼女の人生の様々な諸相を描き出そうと試みる。ボウエンは、離れ小島に行くとしたら、カレイドスコープ(万華鏡)を持っていきたいと言ったという。「不動と変幻」に魅せられたボウエンの人生は、カレイドスコープのイメージを呼び起こすことによって、語ることができるかもしれない、と筆者は述べる。
第二章「変化」は、幼少期から青年期に焦点をあてる。ボウエン一家に暗い影を落とした父親の精神病、ボウエンの心に耐え難い苦しみを与えた母の死、ボウエンが受けた教育や彼女が悩んだ吃音症について語る。
第三章「想像の領域」では、ボウエンの人生を豊かに彩ったまざまな場所について触れられている。これらは、ボウエンの屋敷が佇むアイルランドのキルドラリ、父の病いを期に移り住んだイングランドのケント州、学生時代を過ごしのちに夫と訪れたロンドン、結婚後に親密な関係となったチャールズ・リッチーとの思い出の地であるパリである。
第四章「アウトサイダー」では、ボウエンが生れながらに持った「アウトサイダー」としての自己意識、そして彼女と親交を深めた文化的「アウトサイダー」たちを語り、第五章「恋愛と恋人たち」では、チャールズ・リッチーを最も重要人物とするボウエンの恋愛の諸相を辿る。ボウエンは多くの婚外関係を持ったが、ボウエンの恋愛経験は彼女の作品のいくつかに色濃い影響を与えたことが指摘されている。
第六章「大戦のスナップショット」では、戦争がもたらしたボウエンへの文学的影響を考察し、第七章「芸術と知性」は、人気作家となり、戦争の時代を文化人として華麗に暗躍したボウエンの姿を描き出す。
第八章「さまようまなざし」では、ボウエンの想像力に影響を与えたものとして、写真、映画、シュルレアリストの芸術運動、ラジオや電話といった新しいメディアが指摘される。
第九章「過去から読む」では、ボウエンの作品のオリジナリティを強調しながら、ヴァージニア・ウルフを含む彼女と同時代の著名作家たちとの交流を語り、ボウエンが賞賛した古典作家たち―ジェイン・オースティンやマライア・エッジワース、サマヴィル・ロスやマルセル・プルーストら―を紹介する。
第十章「晩年のライフ・コラージュ」では、夫の死を迎え、幼少期を過ごした屋敷を売却し、苦悩するボウエンの姿の描写が試みられ、最終章第十一章「おののく心」では、ボウエンの人生の終わりが語かれる。ささやかな家を購入し、ボウエンは子供時代の風景に回帰した。最後の数週間、病院で過ごす彼女を毎日見舞ったのは、チャールズ・リッチーだったという。
(英国バーミンガム大学博士課程在籍、中央大学非常勤講師)
「図書新聞」No.3671・ 2025年1月18日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。