信藤玲子評 ミア・カンキマキ『眠れない夜に思う、憧れの女たち』(末延弘子訳、草思社)
自分のしたいことをした「夜の女」たちに会いに行く――前作では清少納言を求めてフィンランドから旅立った作者の新しい旅路を描いた紀行エッセイ
信藤玲子
眠れない夜に思う、憧れの女たち
ミア・カンキマキ 著、末延弘子 訳
草思社
■旅とは失望の連続である。どれほど憧れた地でもいざ現地に行くと、想像していたほど美しくない、混雑している、現地の人と意思疎通ができない……など、こんなはずではなかったという事態が次々に発生する。
フィンランドの出版社に勤めていたミア・カンキマキは、四十を目前にして「人生に飽き」、会社を休職して京都へ向かった。前作『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』は、「セイ」と語りかけながら清少納言の声を現代に蘇らせ、自らも人生の新しいページを切り開いた斬新な紀行文学として多くの読者の心をつかんだ。
会社を辞めて作家になったミアは、「独身で子どももいない四十二歳の女」として自らの寄る辺なさに悩み、眠れないまま理想の女について思いを馳せる。ならば「夜に思う女」に会いに行こう。そして新たな旅がはじまった。
まずはカレン・ブリクセンに会いにアフリカへ旅立つ。一九一四年に夫とともにアフリカに移住したカレンは現地で二十年以上暮らしたのち、一九三七年にイサク・ディーネセンとして『アフリカの日々』を発表した。カレンが描写した美しい大地に気高い野生動物、そして現地の人々との触れあいは世界中から称賛され、映画『愛と哀しみの果て』のモデルにもなった。「あなたの勇気を少し送っていただけませんか?」とミアはカレンに語りかける。
ところがカレンが残した日記や手紙には、アフリカの大地に勇ましく立つ女の姿はなかった。そこに書かれていたのは、不実な夫にうつされた梅毒に苦しみ、金銭の不安と気ままな恋人への執着で心を病みつつある女だった。サバンナの真ん中でミアはカレンに失望どころか憤りすら覚える。でも、と思い直す。「私たちはだれだってそうではないのか?」
さらにミアは理想の女を探して、日本探検記で知られるイザベラ・バードをはじめとする十九世紀の女性探検家について調べる。しかし、知識も装備もなかった時代に旅に出た勇気には感服するものの、彼女たちが女性の権利を主張する「新しい女」を否定して、あくまで「慎み深い」女として家父長制に従い続けたことに疑問を抱く。一八六二年にロンドンで生まれたメアリー・キングスリーは、両親の看病から解放されたあと西アフリカに旅立った。旅の最中も独身女性として奇異な目で見られ続けたが、ユーモラスなアフリカ旅行記が話題を呼んで時の人になった。それでもメアリーは未婚女性の務めを担い、家長であった弟の世話に追われた。旅ではあれほど勇敢なのに、なぜ家では屈するのか?
ミアは落ちこみから回復するために、再び日本へ向かう。だがここでも失望が待ち受けていた。九月の京都は暑すぎた。頭痛に悩まされながら、江戸時代に生きた女流文人の江馬細香の本を読む。生涯独身を貫いた江馬細香は、男性の詩人仲間と酒を飲んで詩を書き、当時の女性の義務にとらわれることなく自由に生きた。ミアは江馬細香について調べているうちに、江戸時代に女性が江戸を出るときは、関所を越えるために「女手形」が必要であったことを知る。「女手形」とは身分証明書であり、女性の身もと、つまり「だれの母親か娘であるか」が記載されていないといけない。
ここで女性探検家たちと江戸時代の女性たちがつながる。自由に生きながらも、関所では身分を告げなければならなかった江馬細香も、夫を探しているふりをしてアフリカの奥地に分け入ったメアリーも同じ苦しみを抱えていた。女性は男性の所有物であり、誰かの母親か娘、あるいは妻でなければならなかった。
前作では、ミアは千年以上も昔の日本で生きたセイと、二十世紀初頭のイギリスで生きたヴァージニア・ウルフを、「自分ひとりの部屋」で執筆する女性という共通項で結びつけた。今作では、生まれ育った国では「自分ひとりの部屋」を持てずに世界に旅立ったカレンや女性探検家たちと、「自分ひとりの部屋」を持つことはできたかもしれないが自由に移動できなかった江馬細香や江戸時代の女性たちを見事に結びつけている。
今回の旅に失望しかけていたミアは、「が、江戸時代の女性たちの女手形のおかげで旅がにわかに意味を帯びてきた」と考える。いま自分は「だれかに許可をもらう必要もなく」移動できる自由の身である。昔の女性はもちろん、現代でもすべての女性がこの権利を手にしているわけではない。「だから、私はしたいようにする」
そのあとイタリアへ行き、かつて栄華を極めたフィレンツェで画家として生きた女性たちに思いを馳せる。女性には、結婚・修道院・娼婦という選択肢しかなかったこの町で、どうやって生計を立てたのか? 女性画家たちの不屈の精神に勇気づけられる一方、絵画の師にレイプされたアルテミジア・ジェンティレスキが裁判で被った屈辱が現代と地続きであることに気づかされる。
最後にミアは二十代のときから惹かれているヤヨイを思う。一九六〇年代のニューヨークで前衛芸術家として活動したあと、新宿の精神病院で四十年以上暮らし、ひたすら制作を続けている彼女を。たった一度きりのヤヨイとヤヨイの「夜の女」であったジョージア・オキーフとの出会いを想像する。落ちこみから回復したミアは、自分の「魔の山」で再び書きはじめる。ままならない人生に失望しながらも屈することなく創作に邁進した「夜の女」たちからの学びを心に刻んで。
この本を読み終えた読者は、ミアを「夜の女」として思いを馳せるだろう。この本を書きはじめた四十二歳からさらに歳を重ねて、ミアの世界はどう変化したのだろうか? アフリカを去ったカレンは、五十一歳で『アフリカの日々』を発表した。作者の次なる旅への期待が湧きあがる。
(翻訳者、ライター、大阪翻訳ミステリー読書会世話人)
「図書新聞」No.3652・ 2024年8月17日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。