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馬場理絵評 松宮園子『欲望のポートレート――英語圏小説に見る肖像、人形、そしてヒューマノイド』(小鳥遊書房)

「自己」とは何か――文学作品に描かれる様々な「ポートレート」を考察する

馬場理絵
欲望のポートレート――英語圏小説に見る肖像、人形、そしてヒューマノイド
松宮園子
小鳥遊書房

■松宮園子著『欲望のポートレート―英国小説に見る肖像、人形そしてヒューマノイド』は、「ポートレート(portrait)」研究を通して、十九世紀から今日に至るまで、様々な小説家たちが果敢に取り組んできた「自己」に関する問題を読み解く実践的研究書である。本書は、「ポートレート」についての考察が、「ヒトとモノ」、「自己と他者」、「現実と虚構」、「生と死」といった時代や文化を超える複雑で難解な文学的テーマに対する有効な横断的アプローチとなりうることを示している。
 「ポートレート」という語は、辞書での定義では「肖像画、肖像写真、塑像」となり、「類似物」や「生き写し」といった意味でも用いられる。本書は、「ポートレート」の魅惑的な包括性を巧みに活用しながら、「ポートレート」を「特定の他者」を「モデル」に作成した「モノ」としての「似姿」と説明し、この枠組みに当てはまるものとして「肖像画、肖像写真、彫像、人形、ヒューマノイド」に着目する。
 二十一世紀に生きる我々にとって、命を持つ「自己」が、命を持たない「モノ」に存在を脅かされる恐怖は、急激な速さで進化するテクノロジーによって、より身近なものになりつつある。ヒューマノイドも、「ヒト」のアイデンティティの脅威となりうる「ポートレイト」と言えるだろう。十八世紀にふいご構造によって「呼吸」する自動人形がすでに存在していたように、「ヒトとモノ」の二元論の揺らぎの歴史は極めて長い。「ポートレート」を鍵に、今日我々が向き合う「ヒトとモノ」の境界の揺らぎと倫理の問題を改めて見つめ直すことによって、肖像写真や人形がもたらしてきた「自己」と「ヒトとモノ」の関係性を俯瞰的視座から捉え直すことが可能となる。「ポートレート」と切り離すことができない「自己」は、外部からの影響に常に晒されており、主体と客体の対立関係の曖昧さ、また「自己」そのものの独立性の捉えにくさとも切り離すことができない。「自己」とは何かという問いは、哲学や倫理学、言語学から脳神経科学など、様々な分野で領域横断的に興味深い議論展開がなされており、「ポートレート」に捕らえられた「自己」、「ポートレート」を創造する「自己」は、極めて多様な諸相を展開する主題となる。「ポートレート」に写される「自己」は、それが実像とは異なるゆえに、「現実と虚構」の対立問題とも密接に関係しあう。現実と虚構が交わりあう文学作品という虚構の場において、「ポートレート」の「虚構性」は複雑に重層化する。
 オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』(一八九一))では、姿を変えるドリアンの「肖像(ポートレート)」は、当時の科学的議論における精神と物質の「呼応」的関係を反映しており、物語の中心で「自己」の在所をめぐるゴシック・ファンタジーのテーマを深化させている。
 『オーランドー』(一九二八)において、写真と肖像の両方の「ポートレート」に提示される主人公オーランドーの姿は、そのモデルとなったヴィタ・サックヴィル=ウェスト自身の姿を映すものとそうでないものから構成され、読者はこの作品の「虚構」を支える「事実」に潜む作者ウルフの謎めいた意図に、想いを馳せずにいられない。ヴィタの肖像写真の影響は、作品に色濃い印象を与えており、作品の最後の肖像写真はオーランドーの匿名性を奇妙に際立たせている。
 筆者によれば、アガサ・クリスティ研究においては、作品に登場する視覚芸術に特化した研究はまだ十分に進められていない。著者は、『ホロー荘の殺人』(一九四六)に着目し、物殺人事件の鍵を握る人物としてヘンリエッタという彫刻家の重要性を指摘する。彼女が創造する彫刻という三次元の「ポートレート」のなかには、ドリアンの肖像を思わせる「モノ」に宿るはずのない「卑しい悪意」を感じさせるものがあり、作者の意図に反して作品がモデルと酷似してしまう不気味さが、殺人事件の劇的雰囲気の向上に巧みに寄与している。
 シリ・ハストヴェットは、作品で視覚芸術を描く傾向が強い作家である。『リリー・ダールの魅惑』(一九九六)は、「肖像画」及び「人形」という「ポートレート」の描写を通して、交錯する眼差しのダイナミクスが呼び起こす創作者と作品のモデルとなる人物の「自己」のなかに潜む欲望や心の葛藤を描き上げている。
 最後にカズオ・イシグロ『クララとお日さま』(二○二二)を扱い、筆者が着目するのは、AF(アーティフィシャル・フレンド)という馴染みのない言葉を敢えて使うことでイシグロが挑んだ、AIやロボットによって開かれる「ヒトとモノ」の既存の関係を乗り越えて存在する世界の創造である。『私を離さないで』のクローン人間にも言及しながら、AFのクララを通して描かれる「ヒトとモノ」の関係の微妙な揺れ動きが鋭く分析されている。

馬場理絵(英国バーミンガム大学博士課程在籍、中央大学非常勤講師)

「図書新聞」No.3644・ 2024年6月22日に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。


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