永田和男評 ステファニー・グリシャム『ネクスト・クエスチョン?――トランプのホワイトハウスで起きたこと』(熊木信太郎訳、論創社)
元側近が吐露するトランプ夫妻との愛憎とホワイトハウスの日々――自分だけが中心というトランプ氏の性格を浮き彫りにしている
永田和男
ネクスト・クエスチョン?――トランプのホワイトハウスで起きたこと
ステファニー・グリシャム 著、熊木信太郎 訳
論創社
■本書の帯に「トランプは大統領に返り咲くにふさわしい人間か?」とあるが、著者ステファニー・グリシャム氏(元ホワイトハウス報道官兼広報部長)の答えは「ノー」だろう。なにしろ本人は今年八月にシカゴで開かれた民主党全国大会で演説し、十一月の大統領選挙ではトランプ氏の対抗馬であるカマラ・ハリス副大統領に投票すると宣言している。
この演説でトランプ氏を「他者への共感も、道徳も、真実への忠誠もない」と酷評したグリシャム氏は、広報担当としてトランプ夫妻に六年間仕えた。トランプ政権と決別した元側近の暴露本は数多くあるが、本書にはトランプ大統領だけでなくファーストレディーのメラニア夫人とも多くの時間を過ごしてきた著者による率直な思いが綴られている。
「大事なのは俺だけだ」。メラニア夫人の広報責任者から大統領報道官兼務となった著者が、これからもファーストレディーと大統領のため尽くしますと抱負を述べると、トランプ氏はそう言い放ったという。「トランプのホワイトハウスでこれ以上の真実を聞いたことがない」という著者の痛烈な皮肉が、妻でも他の誰でもなく自分だけが中心というトランプ氏の性格を浮き彫りにしている。
本書の原題は、”I’ll Take Your Questions Now”。記者会見の冒頭に質問を促す決まり文句だが、グリシャム氏は報道官在任中に一度も記者会見を開いていない。メディアの報道ぶりに憤った大統領の指示で、ホワイトハウスでは前任の報道官の時から定例の会見が行われなくなっていたのだ。広報のプロなら誰でもあこがれる大統領報道官に就いたというのに、記者たちの厳しい質問をさばいて政権を支える舞台に立てなかったという無念がにじむ書名だ。
挿入されたカラー写真の頁には詳細な説明が付されており、著者が大統領に叱責された時の緊張感や釈然としない思い、そしてホワイトハウスでトランプ氏が誰にも恐れられていた様子が生々しく伝わってくる。一方、著者がメラニア夫人の髪のセットを手伝う写真はほほえましい。東欧スロベニア出身の元モデルである夫人は、「笑われないように」とスピーチの前には著者とともに入念に英語の発音やアクセントの確認を行い、その熱心な姿を著者は愛おしく思い、尊敬の念も持ったという。
トランプ政権の厳格な不法移民取り締まりで親子が引き離される映像に心を痛めたメラニア夫人はある日、自ら国境の視察に出かけた。夫人のこの行動を「誇りに思った」と記す著者だが、視察の当日に夫人が着ていたジャケットになぜか「私は気にしない」という文字が書かれており、これがテレビに映し出されると、本当に移民たちのことを心配しているのかと物議を醸した。夫人も著者も、大統領に大目玉を食らった。
そんな失敗があっても、メラニア夫人と力を合わせて大統領の強硬な発言を修正させたことが一度ならずあったと胸を張る著者だが、夫人も次第に大統領には物を言わなくなり、仕事や私生活の面でも行き詰まった筆者は、ホワイトハウスで孤立を深めていく。
二〇二一年一月六日、トランプ氏の大統領選挙敗北を認めない支持者らが連邦議会議事堂を襲撃した事件を見た著者は、メラニア夫人にテキストメッセージを送って、暴力は許されないというツイートを発信するよう訴えたが、夫人からの返信は「ノー」のたった一言。失望した著者は即座に首席補佐官宛てのメールで辞表を提出した。
辞任後、ホワイトハウスへは出入り禁止となった著者だが、振り返って、外国首脳の会談でアメリカの権益を主張するタフな交渉ぶりを発揮していたトランプ氏を「本当に私たちの国のために戦っていた」と今もたたえている。「アメリカ・ファースト」の看板はだてでないのだという著者の指摘には、我々外国人読者も十分注意を払うべきだろう。
筆致は軽妙で読みやすいが、興味を引くエピソードや鋭い考察は多い。トランプ氏は核戦争を心から恐れ、「気候変動などどうでもいい。心配すべきなのは核爆弾だ」ともらしていたという。核と言えば最も警戒する相手はロシアだが、トランプ氏が潔癖症なのを知るプーチン大統領は、首脳会談で嫌がらせのように盛んな咳をしていたという。元スパイのプーチン氏が一枚上手だったということだろうか。
トランプ氏は今年、不倫相手の元女優に支払った口止め料を不正会計処理したとして有罪評決を受けたが、本書にもメラニア夫人がこの元女優が名乗り出たことで当惑する様子が描かれている。夫人が、やはり大統領だった夫の不倫が発覚したヒラリー・クリントン氏がとった態度を評して、「あのようなことはしたくない」と述べることもあったという。
トランプ氏が三度目の出馬中の大統領選挙が目前に迫るアメリカでは、十月上旬にメラニア夫人自身による回顧録がアメリカで発刊される予定だ。バイデン政権の批判など夫の選挙戦を後押しする記述もあるというから、グリシャム氏の回想とは趣が異なるようだ。どちらを信じるかはさておき、まずは本書で豊富なエピソードに触れ、一筋縄ではいかない性格の持ち主であるトランプ氏がメラニア夫人や側近らとどのように接していたのか、ホワイトハウスの内幕に思いを巡らすのも一興かもしれない。
(桜美林大学非常勤講師・読売新聞元ワシントン特派員)
「図書新聞」No.3660・ 2024年10月26日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。