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井上毅郎評 安東量子『スティーブ&ボニー――砂漠のゲンシリョクムラ・イン・アメリカ』(晶文社)

評者◆井上毅郎
分断された世界の縮図と対話の重要性――対話が欠如しやすい状況でどのように対話による信頼関係を実現するかという普遍的な課題に対し、著者の実践は一つの道を示している
スティーブ&ボニー――砂漠のゲンシリョクムラ・イン・アメリカ
安東量子
晶文社
No.3584 ・ 2023年03月25日 

■二〇一一年の福島第一原発事故当時、放射能のリスクをめぐり大変な混乱と恐怖が生じた。その後もさまざまな問題や不安が顕在化し、近年も放射能汚染水の処理方法が問題視され続けていて、事態は一向に収まる気配にない。人々の意思疎通や人間関係が機能不全に陥ってしまったこうした状況から立ち直るべく、人々の対話を促すのが、著者、安東量子が率いる「NPO法人福島ダイアログ」だ。本著は、活動を通して出会った友人たちの取り計らいで安東がアメリカ原子力学会主催の会議で発表したときの顛末を綴ったものである。
 安東は、渡米前に会議関係者の間で行われていたやり取りに早くも不穏な空気を感じ取る。原子力界の二大領域である原子力分野の重鎮がもう一方の保健物理(放射線防護)分野で広く採用されている仮説に物申してやろうというのである。実際、会議の場で信じがたい光景を目にする。ある発表の後、他の参加者たちが発表者には目もくれず次々と持論をまくし立てるのだ。会議の運営メンバーの一人であり、著者の現地滞在中のホストファミリーであるスティーブによると、アメリカの原子力界は長らくこの調子らしい。だからこそ安東の活動に大いに共感する。
 印象的なのは、会議の会場近くにある核開発拠点ハンフォード・サイトを著者が見学したときのことだ。この拠点はアメリカが原子爆弾を開発するために立ち上げたマンハッタン計画の一環で作られたもので、長崎に投下された原子爆弾の燃料プルトニウムの抽出にも使われた。そのような話が原子力の平和利用を含む原子力技術の開発という一つの文脈で説明される。核は戦争の道具、原子力は平和利用として別々のイメージを持つ日本とは対照的だ。
 アメリカでは原爆の被爆者のように原子力によって影響を受けた個人の思いを見聞きする機会も限られているようにも思われ、それだけ安東が会議に持ち込んだ視点はユニークだったことだろう。安東の今回の渡航自体がある意味での対話であり、意味を持つと感じられる。
 滞在中、安東は民主党支持者であるスティーブと共に地元の党集会に足を運ぶ。そこで偶然、現地に住む日本人夫妻に出会う。日系二世の夫は小さい頃に戦前・戦中の日系人排斥運動に遭い、以来日本人としてのアイデンティティを捨てて生きてきた。妻は広島出身の日系一世で、地元には自身が原爆の影響を受け、娘を若くして亡くした姉がいるという。こういった話をスティーブは初めて聞いて驚いていたし、著者にとっても自分が体験してこなかった「長い戦後」に思いを馳せる機会になったようだ。
 近年、コロナ禍において新型コロナウイルスのリスクにまつわり世界中でさまざまな言い争いが生じたし、アメリカではトランプ氏が大統領になったことで社会の分断がさらに進んだ。インターネットは人々のコミュニケーションを活発にしたが、匿名性の高さから一方的な発言が加速度的に増え、状況を悪化させている。ソーシャルメディアには同じ考え方の人同士が集まり、検索や広告では各人の好みに偏った内容が表示される。他者への配慮と想像力を失った人々は攻撃的になりうる。
 不公平、不平等、格差から社会に様々な分断が生まれているこの状況で、必要なのはまさしく対話である。相手がどのような状況にあり、それをどう認識し、どう感じているのかを互いに知ること。そこから有効な方策が生まれる。それは、事実に目を向けるサイエンス的なプロセスだけでなく、互いの見方や感じ方を共有し合うアート的なプロセスを取り入れることだとも言える。
 対話が欠如しやすい状況でどのように対話による信頼関係を実現するかという普遍的な課題に対し、著者の実践は一つの道を示している。
(デジタルエンタテインメント企業PM/翻訳者)

「図書新聞」No.3584 ・ 2023年03月25日(日)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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