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木下朋子評 星野博美『馬の惑星』(集英社)

馬に魅せられ、旅する先で、馬と歴史と世界の今を思う――著者の思考は縦横無尽、自由自在だ

木下朋子
馬の惑星
星野博美
集英社

■地球。この惑星には、あちらこちらに馬がいる。著者はその馬に乗るため、馬に関わる祭事を見るため、世界各地に飛ぶ。当然、馬について学んだり考えたり何かしら感情を抱いたりするから、読者も馬にまつわるあれこれを知ることができる。
 だが、話は馬に留まらない。旅に出た先で見るもの聞くもの体験するものから、著者の思考は時間的にも地理的にも大いに広がる。
モンゴルのナーダム祭を見ては、モンゴル帝国時代に思いを馳せる。ナーダム祭の開会式のアトラクションでは迫力満点の戦闘シーンが繰り広げられ、著者は今も軍事訓練をしているかのようにも思う。また、「ナーダムのハイライト」である長距離競馬を見れば、その過酷さに涙する。遊びではなく馬と生きる人たちのことを考え、恥ずかしくなる。
 このモンゴル行に限らず、著者は馬を見て馬に乗って喜びを感じるだけでなく、馬とともに暮らす人々を見て自分を恥じたり、馬に申しわけなく思ったりする。生活に、人生に根差した人と馬に対し、ただ好きだからと馬を追いかける自分に引け目のようなものを感じるのだ。
 著者は、スペイン南部のアンダルシアからアフリカ北端のモロッコへも行く。
 馬祭りを見るために向かったアンダルシアでは、かつてのイスラム教徒の王朝時代の名残であるイスラム教文化の影響を見つつ、カトリックの王たちがレコンキスタ(国土回復運動)によってイスラム教徒を追い出し、異端審問を行ったことも考える。
アンダルシアを追われたイスラム教徒が移り住んだモロッコにも足を運び、そこでは一時的に馬を離れてラクダに乗る。きっかけは、映画『アラビアのロレンス』だ。
 馬とは乗り方揺れ方などいろいろ違うが、かわいいラクダでの移動をしつつ思い浮かべるあるシーンで、土地の文化に敬意を払うロレンスの姿は、著者の旅先でのあり方に通じている。
アンダルシアのへレスでは山の斜面の洞窟住居を見て長崎の隠れキリシタンを思い出し、モロッコでは生ハムを見ないことからスペインでの異端審問を連想する。著者の思考は、あれを見てこれに飛び、これを聞いてあれに飛ぶ。縦横無尽、自由自在だ。
 トルコにも行く。奇岩群で知られるカッパドキアで馬に乗るため、そして遊牧民の伝統的協議を競う「国際遊牧民競技大会」(ワールド・ノマド・ゲームズ)を見るために再訪もする。
 最初の旅では、訪れた場所でオスマン帝国とティムール帝国の戦いや、モンゴル帝国の西進に思いが及び、ここでも歴史と今がたびたびリンクする。
二度目は、コロナによる延期後、待ちに待ったワールド・ノマド・ゲームズを観戦する。キルギスやウズベキスタン、カザフスタンやモンゴルの民族衣装を着た選手たちによる、コクボル(馬上ラグビーのようなもの)の試合などを楽しみつつ、各国の現状や歴史上の関係を思い巡らす。アフガニスタンの選手がタリバンの政権掌握後の混乱による影響を受けていることを思い、ウズベキスタン対モンゴルの対戦には「ティムール帝国対モンゴル帝国の代替戦」を連想する。
 気づけば「帝国」が頻出している。「馬文化が盛んで、馬を自由自在に操ることのできる人が多い土地は、戦闘の多かった土地である確率が高い」と著者も書いている。「帝国」を建て、広げ、守るためには、どうしても戦闘があり、それゆえに馬が必要になるということだろう。馬がいてこその「帝国」だったのだろうか。
 著者は馬を追いかけて世界へ、特に中央アジアから西アジアへ飛ぶ。そして、各地で馬を見、馬に乗り、馬の関わる祭事を見学して、馬を満喫する。だが、馬を追って出かけた先で、日本とのつながりや類似に気づき、また、その地の歴史を思い起こして現在に続く影響を思う。馬をきっかけにした著者の旅が、世界を深く広く見せてくれる。
 しかも、語り口が軽妙で、読みやすい。
 自動車免許の教習所の先生に「馬はかわいい。車は全然かわいくない」と言うかと思えば、国旗の色が「『ファミリーマート』の配色と似ている」ので「ウズベキスタンはファミリーマート、と覚えることにしよう」と決める。
 楽しく読みながら、馬と歴史と、世界の今に触れられる。馬好き、スペイン、中央アジア近辺の歴史好きには特に興味深いだろうし、そうでない読者には、サラブレッドの走る競馬や、騎士のいた西洋とは異なる、馬と関わり深い新たな世界への窓が開けるだろう。
 著者の作品は、これまでに大宅壮一ノンフィクション賞、大佛次郎賞、読売文学賞「随筆・紀行賞」を受賞している。本書が馬なら、楽器をきっかけにした旅とキリスト教を書いた作品もある。未読だが、そちらも本書同様、読めば世界と時代を駆け巡る、深く広い旅に連れて行ってもらえそうだ。
ちなみに、本書で最初に出てくる馬は「丙午」だ。そこからトルコやモロッコまで出かけていくのである。馬を追いかける著者を追って、読む旅を堪能してほしい。
(翻訳者/ライター)

「図書新聞」No.3666・ 2024年12月7日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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