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小平慧評 コーマック・マッカーシー『アウター・ダーク――外の闇』(山口和彦訳、春風社)

人間の意識と無意識の構造を射抜く現代的な射程――貧しい人々の暮らしの描写は「生活感」にあふれている

小平慧
アウター・ダーク――外の闇
コーマック・マッカーシー 著、山口和彦 訳
春風社

■社会から孤立して暮らす兄キュラと妹リンジーの兄妹に、近親相姦による赤ん坊が生まれる。キュラは赤ん坊を森の中に捨て、行商をしていた鋳掛屋がその子を拾って連れ去る。リンジーは赤ん坊のことをあきらめられず、家を出て、赤ん坊をさがしてさまよう。一方キュラも、行く先々で仕事を転々としながら妹をさがす。赤ん坊を探す妹と、妹を探す兄は、森や沼沢地に囲まれた貧しい山村地帯を徘徊する。
 小説の舞台は米国南東部のアパラチア山脈地域。作者コーマック・マッカーシーは、『ブラッド・メリディアン』や、『すべての美しい馬』に始まる「国境三部作」(いずれも黒原敏行訳、早川書房)などにより、西部作家のイメージが強いが、初期作品では作者のよく知る南部、テネシー州を描いている。長編第二作にあたる本書『アウター・ダーク』(原著は一九六八年発表)もその一つだ。
 土地の人々、特に貧しい人々の暮らしの描写は「生活感」にあふれている。どんな家に住み、どんな店で買い物をし、どんな物が食卓に並ぶかを、作者は見てきたように描写する。それでも、これは本当に我々の住むこの世界の出来事なのか、時々わからなくなる。地名も人名も、作中では絶妙な匙加減でぼかされ、いつ、どこでもありうるような、具体的な時空から遊離した雰囲気を帯びている。きわめつけは、人殺しを繰り返す三人組の男たちの存在だ。キュラが関わった者たちの前に突然現れて、さしたる理由もなく、命を弄ぶように彼らを殺害する三人組は、倫理や道徳に縛られず法の手も及ばない。人の運命を紡ぎ、断ち切る、ギリシャ神話の「運命の三女神」を思わせる彼らは、『ブラッド・メリディアン』のホールデン判事をはじめ、のちのマッカーシー作品に現れる、超然とした暴力の行使者たちの先駆けのようでもある。
 主人公たち二人にも「リアル」な物差しでは測れない部分がある。リンジーは赤ん坊を探すことしか眼中になく、その決心は揺らぐことがない。「住んでるところなんてもうないんです。(略)これまでも似たようなものでしたけど。今は赤ん坊を探し回っているだけです。あたしにはもうそれしかないんです」とリンジーは言う。一方のキュラは、口では妹を探していると言いながら場当たり的に仕事や寝床を転々とするばかりで、いつもどこか上の空だ。目的しかない妹と、目的を欠いた兄の姿は対照的だが、二人とも自分の意思というよりは、見えない糸に引っ張られて行動しているかのようだ。
 人智を超えた何かにせよ、作為的な語り手にせよ、登場人物たちのいるレイヤーとは別のところにいる上位の存在が、物語を動かしているような気配がある。そして、その正体はキリスト教的な「神」ではないようだ。本作には、聖書を下敷きにしたくだりがある。キュラが豚追いの一行と出くわしたとき、豚の大群が暴走し、巻き込まれた豚追いのひとりが崖から落ちて死んでしまう。話の元になっているのは、訳者の親切な注にもあるとおり新約聖書のエピソードで、人にとり憑いていた悪霊が豚の群れに乗りうつり、豚が崖から湖になだれ込んで溺死するというものだ。
 一方キュラの物語は滑稽な顛末を辿る。キュラは豚の暴走を引き起こした張本人と疑われる。おまけに、通りかかった牧師が事態をさらに悪化させる。豚追いたちをなだめるかのような態度と裏腹に、「お前たちこの人を首吊りにしようとしてるんじゃあるまいな」「それにしても首吊りは駄目じゃ」「だからといって首吊りは駄目じゃ」「わしはよっぽどのことがない限り首吊りは認めん」「この男を崖から突き落とすのは駄目じゃ。(略)それだったら首吊りの方がましじゃ」と、発言を繰り返すうち、かえって雲ゆきが怪しくなっていく有様は失笑ものだ。ここでの聖書は、象徴的な意味をもつというよりパロディの対象になっている。
 この小説はリアリズムのモードで読んでよいのか、あるいはもっと抽象的な寓意のモードで読むべきなのか、あるいはそうした「深読み」さえも茶化すような企みがあるのか、それは読者が探りながら読むしかない。主人公たちは、単純化または戯画化された抽象的な人物というわけではない。キュラはいつも、訝しげな目を向けられたり、状況が少しまずくなったりするたびに、目の前の事態から逃げることを繰り返す。そういう点では卑近で身近な人物なのだが、つねに漠とした罪悪感を抱えながら、一方でそれを抑圧し、向き合わないように生きている人間の一人ととらえるならば、この物語は人間の意識と無意識の構造を射抜くような、現代的な射程をそなえているとも言える。物語の結末近くで、三人組の殺し屋が、キュラが見ないようにした「現実」を突きつける。キュラに向けて殺し屋の一人がはなつ「お前は知らないことが多すぎるんじゃないか?」という言葉は、小説の枠を超えて、読者のいる現実世界に不気味に響きわたる。
(翻訳者/ライター)

「図書新聞」No.3635・ 2024年4月13日に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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