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浅場眞紀子評 山内マリコ『きもの再入門』(KADOKAWA)

成人式の着物を断った全ての女性へ送る無駄のすすめ――身銭を切って学んだことほど身につくものはない

浅場眞紀子
きもの再入門
山内マリコ
KADOKAWA

■作家でエッセイストの山内マリコさんの新刊「きもの再入門」の書評をご依頼いただいた。きっと私が趣味でお茶のお稽古をしたり、着物を日常的に着たりしているからだろうと思う。しかし山内さんと私の着物体験はかなり時代背景も状況も異なっているということもあって、読みながら山内さんの大胆な行動に常にハラハラドキドキ、心の中で「あちゃ~~やめときなさい!」と叫んだり、「それは……」と絶句したりと、脳内で着物警察が出動しまくったわけだが、最後には「あら素敵」と思いながら読了した。
 私にとっての着物というのはそもそも茶道に欠かせない道具としてスタートしているので、ある意味最初からあまり道を踏み外すことも無かった。すでにある程度定められた「何を用意して何を着ればよいか」の周りから教えられたルールの中に収まるものから取捨選択していくところから始まったので、山内さんがこの本の中で語っているような派手なお買い物や、着物に対する強力な熱狂は、温度はやや低めだったかと思う。それでも着物はとても魅力的であり、その美しく複雑怪奇な沼に一旦嵌ってしまうとなかなか抜けられない、というのは同じ沼に落ちたことのある者でなくては分からないことだ。
 この本はこれから着物の世界に嵌ってみたい、とかすでに片足を突っ込んでしまっている、とか自分の失敗の傷口を舐める追体験がしたい、という人はもちろん、人生の中で出会う無駄で素敵なものに正面から体当たりする作者の武勇伝を楽しみたい人にもお勧めだ。現代において着物を着る、ということほど非効率的で面倒くさく、お金がかかることはないのだが、無駄に思えることにこそ人生の大事なことがたくさん詰まっているのだ。それもこの本を読みながら私自身あまたある傷口を舐めながら再認識したことでもある。まあ、身銭を切って学んだことほど身につくものはない、のである。
 私の世代でも山内さんのような若い世代でもそうだが、祖父母や親が提案する成人式の着物の購入を断って自分の欲しい他のものに替えてもらう、というのは非常に一般的に起こっていることだと思う。「着物なんてもったいない。もっと他の使えるモノにしたい。」と。私も振袖をスクーバダイビングのライセンス取得とダイビングギアに替えてもらった口だ。山内さんはAppleのパソコンにしてもらったそうだ。時代である。今思い返すと祖父母や両親の「孫娘、娘の可愛い振り袖姿を見たい」という期待を残酷に裏切る冷たい行為だったと反省してる。
 さて山内さんはその後お兄さまの結婚式に振袖を着て参列する機会があり、貸衣装店で振袖とその小物を選んでいる間にその魅力に取りつかれてしまう。そしてそれをきっかけに着物の世界にのめりこんでいく。まだ作家として自立しておらず、ご実家からの仕送り時代に着物に嵌る、というのはかなりの蛮行ではあるものの、着物にはそれくらい魅力があるということだろう。
 ここでその後の彼女の着物遍歴をあれこれ説明してしまうとネタバレになってしまうので、この先はぜひ本を手に取って楽しんで読んで欲しい。
これから雑誌などで山内さんの着物姿を拝見することが増えると思うが、この本を読んだ人は「ああ、あのターコイズブルーに蝶と薔薇の刺繍からここまで着物との旅を楽しんできたのね」としみじみ共感できるだろう。

 浅場眞紀子(あさばまきこ)ビジネス英語研修会社Q-Leapの共同創業者。現在は奈良と東京の二拠点で活動中。奈良と奈良時代を伝えるサイトChrononaut Nara主催

 「図書新聞」No.3673・ 2025年2月1日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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