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綾仁美評、メグ・シェイファー『時計島に願いを』(杉田七重訳、東京創元社)

自分自身と向き合い、物語の力を信じた先にあるもの――あなたにも招待状は届けられている

綾仁美
時計島に願いを
メグ・シェイファー 著、杉田七重 訳
東京創元社

■もし、子供の頃に夢中で読んだ物語の作者から招待状が届いたら。
メグ・シェイファーのデビュー作『時計島に願いを』は、そんな夢が現実になった世界を描いた作品だ。『チャーリーとチョコレート工場』にくわえ、『不思議の国のアリス』や『オズの魔法使い』など、児童文学作品に対するオマージュが作品中にちりばめられている。ただ、そうした児童文学の名作の中で登場人物たちがナンセンスな出来事や試練に遭遇して成長を遂げるように、本作もただ「子供の頃の夢が実現した世界」以上のことが描かれている。
冒頭に示されるのは厳しい現実だ。世界中の子供たちの心を掴んで離さない『時計島シリーズ』の作者であるジャック・マスターソンは、もう五年ほど物語を書かず、酒に逃げる毎日を送っている。そんな彼がメディアに「世界に一冊だけの新作」をめぐるゲーム大会を開催すると発表したことから、物語は動き出す。ジャック・マスターソンは、子供の頃に『時計島シリーズ』の物語を心から信じ、マスターソンがポートランド沖に作り上げた実際の島である時計島を訪ねた読者に、ゲーム大会への招待状を送ったというのだ。
 主人公のルーシーも招待状を受け取った一人だが、彼女が大人として直面している現実もまた、大変厳しい。両親を失ってしまった男の子を引き取って養育したいと考えているのだが、経済的に安定していないという理由で、養育者としてふさわしくないと判定されてしまう。病気がちの姉ばかりを気にかける両親のもと、愛情に飢えた子供時代を送ったルーシーがいくら愛情の必要性や男の子自身の希望を訴えても、その願いは叶わないという。現実を見据えたソーシャルワーカーの女性は次の言葉を突きつける。「叶いそうもない、途方もない願いごとをする。そういう願いごとは現実では叶わないって、あなただって、わかってるでしょ? どれだけ強く願ったところで、それだけで願いは叶わないものだって?」(六六頁)
 人生を変えるために時計島でのゲーム大会に参加するなんて、ソーシャルワーカーの女性からしたら信じられない選択だろう。彼女がルーシーに放った言葉を突き詰めれば、「願いが叶うなんて物語は絵空事」ということになり、「物語なんて読んで一体何になるのか?」という問いに行き着く。ゲーム大会の招待状を手に入れた四人も、かつてほどは時計島の世界を楽しめていない。あんなに夢中になったジャック・マスターソンが出題するなぞなぞも、解けずにいらつくばかりだ。ジャック・マスターソンの新作を手にすることで生まれる富だけが重要で、物語そのものに意味はないのではないか、という意識が見え隠れする。
 そんな時計島でのゲーム大会で「世界に一冊だけの新作」を手にするためには、なぞなぞを解くだけでは不十分で、一つの試練をクリアしなければならない。その試練は、自らの恐怖と向き合うこと。この段階でルーシーは、もうこの場から立ち去ってしまいたい、との思いに何度も駆られる。そのたびに、ジャック・マスターソンのほか、『時計島シリーズ』のイラストレーターであるヒューゴが、時に自身の心の傷になっている出来事や深い悲しみも吐露しながらルーシーと向き合い、背中を押す。
 一人で自らの恐怖と向き合うのはむずかしい。そもそも日常生活のなかで、複雑な感情を時間を掛けて言葉にすることはまれで、忙しさのなかで気持ちに蓋をしているだけではないか。自分自身の気持ちを言葉にすること、そしてその気持ちを受け止めてくれることが必要だと、ルーシーは恐怖と向き合う過程を追体験して思う。
 そしてそれこそ、物語が存在する意味だろう。登場人物の吐露する言葉で自分自身の感情に気づいたり、励まされたりする。あるいは誰かの背中を押す姿を見て、自分もこうありたい、と思うかもしれない。物語の登場人物と呼応するように、読者も物語を追体験しながら自分自身と対話し、世界を広げてゆく。本作では「子どもひとりを育てるには、まるまるひとつの村が必要だ」ということわざが何度も言及されるが、これは「子供は社会全体で育てるもの」というメッセージを伝えているように思う。物語も読者ひとりひとりの心を育む一助になる、と著者は伝えているのかもしれない。
 「願いを叶えるのは――だれも聞いてくれないと思えるときでも、願い続けた勇敢な子どもたち。なぜならその願いは、どこかでだれかが必ずきいているのだから」(三七頁)という言葉を信じ、行動できるようになった時、読者は確実に人生を変える一歩を踏み出している。そうした一歩が周囲を動かし、やがて人生を救うと『時計島に願いを』は教えてくれる。ぜひ時計島の世界に足を踏み入れ、物語の力がもたらす幸せを体感してほしい。
あなたにも招待状は届けられている。
 (翻訳者/ライター/車椅子ドレスモデル)

「図書新聞」No.3678・ 2025年3月8日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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