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田籠由美評 八島良子『メメント・モモ――豚を育て、屠畜して、食べて、それから』(幻戯書房)
著者はなぜ豚を自分で育てて殺して食べようとしたのか――肉を食べる行為が宿す深い意味を追求しようとする熱い思いはしっかりと受け取ることができた
田籠由美
メメント・モモ――豚を育て、屠畜して、食べて、それから
八島良子
幻戯書房
■■著者は、豚を育て、屠畜し、食べ、この一連の行動を自分のアート作品にして世に問うた。ちなみに「屠畜(とちく)」とは「食肉用の家畜を殺すこと」を意味するという。著者が自分で飼った豚を自分で殺して食べることになぜそこまでこだわるのか気になったので、本書を真剣に読んだ。彼女の意図を百パーセント理解できたとは言えないかもしれないが、肉を食べる行為が宿す深い意味を追求しようとする熱い思いはしっかりと受け取ることができたと思う。
東京の美大でデザインを勉強した著者は、卒業後の二〇一七年から故郷の広島に戻って離島・百島(ももじま)にあるアートセンターに仕事を得る。著者は肉を食べることに抵抗を感じたことがあり、どうして自分が一度肉食を拒絶したのにまた食べるようになったのか納得できる答えを見つけられないでいた。そこで、肉食を代表する豚と真剣に向き合ってアート・プロジェクトにしたいと考えた。幸い広々とした土地のある百島なら可能なので、自分で豚を育てて食べることに挑戦すると周囲の親しい仲間たちに宣言する。豚の「生と死」に向き合い、そこでの自分の感情や考えを突き詰めようとするのだ。
本書のタイトル『メメント・モモ』は、ラテン語の「メメント・モリ」(いつか必ず死ぬということを忘れるな)をもじっている。つまり、「モモを忘れるな」という意味だ。小さいときから可愛がってペットのように育てた豚のモモを一年後に屠(ほふ)って命をいただくというプロジェクトにはこの上ないタイトルだし、美しい響きも印象的だ。このような試みは以前から一部の学校などでも実践され、著者のように自分で屠ることはないものの、生徒たちが自分で育てた豚を食べることで締めくくられ、食べものになってくれる命の尊さを知ろうとするものだ。しかし正直いって、たとえ素晴らしい意図があったとしても、人間の赤ん坊のように著者の横でスヤスヤと眠るまだ小さい時のモモの写真を見ると、わざわざ可愛がって育ててから自分で殺して食べなくても、肉を食べるときに命をいただいているという想像力を持てば十分ではないかと思わずにはいられなかった。
著者は一年間、誠心誠意手を尽くし、大食漢のモモに毎日三回大量の食物を調達して食べさせ、時には下痢気味のモモのトイレの世話をし、小屋の清掃、散歩にと大奮闘した。それは大変な重労働で、彼女自身の仕事もあったので多くの人の助けを借りても寝不足の連続だった。子育ての経験はもちろん犬や猫も飼ったことがない彼女にとってはまさに未知の世界で、最終的に一五〇キロを超えて自分の何倍もの体重に育ったモモの度重なる夜通しの世話など、とても一年以上続けることは不可能だったように思える。そういう意味では、モモの屠畜は、自然の成り行きだったとも言える。モモはペット用に小型に改良されたマイクロブタではない。ただ、犬や猫と違ってコミュニケーションが難しいと著者がぼやくところもある豚のモモだが、豚が犬と変わらぬ知能を持つことは既に解明されているので、豚とのコミュニケーションに慣れていないのは私たち人間のほうだろう。
ところで、本書のお蔭でテンプル・グランディンというアメリカの動物行動学者と出会うこともできた。グランディンは自閉症をもつ自分の視点から動物の感情や思考を読み、家畜と人間のより良い共生を目指している人で、非虐待的な家畜施設などの設計に尽力してきた。勉強熱心な著者はグランディンの研究からヒントを得て、モモの神経を落ち着かせるために両サイドを柔らかい素材で圧迫する専用のハグ・マシーンを作れないかと思考錯誤したりもした。またモモの最期についても、なるだけ苦しまないですむように様々な方法を精査し、酸素と二酸化炭素の混合気体による意識消失を選んだ。
著者が命懸けでモモ中心の生活をした末に考えに考えて出した結論は、私にはとてもできない「モモを屠畜して食べる」というものだった。擬人化がご法度とされる家畜の世界で、著者は引き取った仔豚にあえてモモと名付けて我が子のように育てた。それだけに自分で選んだこととはいえモモの最期が近づいたときの苦悩は大変なもので、親しい人々に精神状態を心配されたほどだった。著者の「もうこの暮らしは限界、食べるよ」とでも言うような心の悲鳴に近い結論を、モモは受け入れてくれただろうか。誰にもわからないだろう。本書として結実した著者の日記には、一年間のモモの成長が詳しく記され、たくさんのモモの写真も撮影されていた。幼いモモの笑っているような無邪気で可愛い顔、島の美しい自然の中を悠々と散歩する幸せそうな姿……そうしたモモの生き生きとした日々は、確かに見る者に命の尊さを強く訴えかけ、お肉をいただくときに厳粛な気持ちを呼び起こさずにはいられないだろう。
(翻訳者/ライター)
「図書新聞」No.3662・ 2024年11月9日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。