文章は上手に書きましょう😊
○すぞ。
残念ながら私は表現を『仕方なく身体から出た排泄物』以外の定義にしている人とは合わない。排泄物に上手いも下手もないんだよ。
こういう人は『あの領域』を知らないのだろう。
❇︎ 文章についてでなく、主に特殊な精神状態について書いています。
それは『あの領域』のことです。
🎀『くわしく』
……放課後の静かな誰も居ない図書室をウロつくキミは膜のような窓の向こうの校庭の喧騒をぼんやり聞いていた。そこに本はなかった――のような。
テレビの人だろうがネットの他人だろうが、度々『人々に……感動を与えたいですね😁✨』などと言い放つ。こういう部分がクローズアップされ美談とされる。テレビ屋も同じ思想なのだろう。
あ〜〜……汚っ……
近寄らんといてくれる?
それはさぁ、『静かな図書室に居る自分素敵❣️』って騒いでんのと一緒なんよね。ブチ壊しだ。
ネットにはよく『自分に浸ってる人の駄文』が転がっているが、同じく目も当てられない。
よくよく想像してほしい。
静かな図書室に居る自分に『自分感』があるかどうか。私は『空間を咀嚼する肉体』ぐらいのモノだと考えるが。
香川県直島に地中美術館という施設がある。
あそこには『先入観』を利用した素晴らしいアートがあった。
順路の所々に『スクエア型の光』が差しており、『おお、なんか光がある』と思わされる。最終地点には大きなスクリーンのような光がこれまた差しており、『ほぇ〜』と思う。
🔔『頭よさそうな文章だなぁ』
……で、美術館職員が『どうぞ』と案内してきて『?』となる。
人間『スッ』
私『⁉️⁉️』
ってなるんよね。
非常に貴重な体験だ。なんと光のスクリーンに入ることができ、そこにはただ『広いだけの空間』がある。
私もただ、『あぁクソ……来てよかったな……』と静かに思うあの感じ。そしてあらゆる先入観に疑問を投じる感覚的な機会ともなる。
少し長くなったが、いわゆる『ゾーン』の話をしたいのです。
でも『ゾーンに入って書きましょう🥰』なんて言っても伝わらんじゃんか。
敬虔で静かで自己が薄れ『ナニカ』に奉仕しつつ空間と同一化したようなあの時間の中に、『人々に感動を与えたいです✨』のような汚い思考はない。
未踏の異空間砂浜で輝く貝殻をおそるおそる拾うようなあの時間には。
ましてや『上手に書かなきゃ』なんて。
多くの人が『特定の場合に不確定だがアイデアが湧く』という経験をしてるだろう。
なら表現者の次なる願いは――
ああ……
あの時間もっと欲しいなぁ
である。当然だ。
それを当然と思わない人が『もっと文章力(?)を磨かなきゃ❗️』と、ライティング指南書を読み漁ったりする。
私的には大いなる遠回りで、借り物の付け焼き刃で仮の補強を付け足す余剰にしか見えない。見えないし、その一連は理屈であるがゆえ『ゾーン』から更に遠ざかる。
私はよく『ナルシシズム』の産物である詩や、その他表現物に対し敵意を抱く。まぁ詩がイチバンなりやすいな……『キショ』って。
なぜならグズグズした自己陶酔から連なる文章はゾーンの対極の更に埒外に位置するからだ。静かなゾーン時間と自己陶酔は一緒になれないんだ。その理由はゾーン経験者しか分からない。
でも誰だって知ってるハズだろ❓
丑三つ時に『ピーン』とした感覚のままパッと目覚めるあの瞬間を。
創作活動はあの素晴らしい瞬間をできるだけ多く味わいという身勝手な願いなのだ。
つまり創作や表現を完全に――
手段として見てんだよ
……賛否あるか? まあいい、だがこれが『表現=排泄物』のアンサーだ。目的地に着く為に車を走らせ排気ガスをばら撒くのと変わりゃしない。
もう一度言う。
『感動を与えたい』だ❓
あまり笑わせるな
最後に感動的な名言を配置して締めくくります。
いわゆる変性意識(催眠でもあるかな)を使った遊びも多分可能なんよね。
【例】
自分を客観視する為、他者と仮定
文章内での人称を『キミ』などに置き換える
往々にして人間、先入観にまみれている
しかし他者という仮定なら抵抗が薄れる
『自分がかつて通過した「言葉にならぬ体験」があったとして、似た境遇の現在進行形の他者を見た場合、言葉を尽くして伝える(その時の感情や動機は様々だろうが)。そして自分でも驚く程に的確であろう言葉の数々を目の当たりにする』
……という現象が『4.』の部分で起きてると思うんですよね。それを『仮定の他者(材料:自分)』でやろうって寸法だ。
他者と仮定した自分に『なにかしらの言葉をかける』ことによって、催眠もかけようって話。これだって変性意識云々だと思うんよね。
いつでもできるし、『ゾーン』へのとっかかりとしては丁度いいかもね。
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