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読書をどのようにしているか

私が読書を始めた20歳の頃、最初に手に取ったのはミステリー小説だった。病院の診察待ちが5時間もあったから売店の棚から何気なく引き抜いた。たしかバンドの話だったかな。

内容は憶えていないが、おそらく作者が『面白いシーン』として書いている部分ですら、なんだか暗いものに思えた。いかなる小説を読んでも、全編が暗いのだ。

いま振り返ると明白だが、私の主観がそうさせていただけである。暗いのはあくまで私の人生観。

だが当時の私は真剣に悩んでいた。

どうやったら読書ができるんだろう

意味不明な悩みだが、意味不明だ。

おそらく『作者が想定するものに近づくには』という発想かもしれない。そして世間が名作という書き物に何も感じなければ、自分はダメ人間で感性がクソなのかもと邪推してた。

現在の私は『意図アレルギー』のような人間になっている。『そのように感じろ/読め』のようなニュアンスを察知するとイライラするし――

こいつ、勇気のない書き手だ

こんな暴論すら持ち合わせている。悪いね、書き物ってのはプレゼンじゃあないんだ。

そして言い換えると、当時の私はバカだ。

【好きに読めばいい】

たったこれだけの結論に、どれだけ時間を要したか。



よく他人が『○○の本や言葉に救われた』などと言っている。残念だが、私にはそんな体験がない。

……いや、違うな。

私を救う言葉など、 本にはあってはならない・・・・・・・・・・・ のだ。

つまり、 何かしらが先立っていてはならない ・・・・・・・・・・・・・・・・のだ。

だが勿論、本を手に取る時点では書かれている内容に興味がある。しかし目次をめくり終える頃には忘却しなきゃならん。

客観的に見て、『救われた』と宣言する人が『救われているように見えない』のだな。
いやいや〜絶対悩み多き人生これからもあるだろ〜って思っちゃう。

私の意見はこうだ。

救う救わんとかじゃなく
現状を認識し続けるチカラこそを磨くべきだ

現時点の私が『救われた』などと劇的に宣言してはならない。私なんぞはこの時代に在る一片の泥程度であり、ヒロインじゃない。白馬の王子に中指を立てる準備はできたか? ヤツの意図なんざ無視しろ。

なぜ『救われた』などと思えるか。
それは『救われてないとおぼしき期間が一定数存在したから』だ。

不満は望みに変わる――つまり読書とは、不満に対する答えとして存在してるのではない。

本は、ただ在る
そして私は、ただ読む

……ああ、疑問があるな。

『現状を認識し続ける』とはなんなのか。

はは、それは【好きにやればいい】

そして現状は『基盤』となり、読書は『補強』となる。突如として現れる光や王子ではない。



あぁ、それにしても。

・私なんかよりたくさん読書をしてきたであろう人
・まったくしてなさそうな人

この両者の『言葉』が、どうにも理解できないのだな。

私は『ちょうどいい泥』ぐらいの存在でありたい。

ほら
いかにも掬いやすそうでしょ?



【あとがき】

🔔『なんともいえないエッセイだ』

(。-∀-)『ごめんもち』

🔔『わけわかんない気持ちのまま書いたね?』

(。-∀-)『まぁ……他人の記事に【クオリア】って言葉が出ててね、なんかソレっぽい事書けないかなぁって……』

❇︎ クオリア=感覚的な質――とされる。

(。-∀-)『で、詩を書く時もそうなんだけど、この感覚的で迂遠で探るような類推? の部分を使ってるワケなんよね。あからさまに近しい要素同士を配置するんじゃなくて、2個も3個もぴゅい〜んて飛んで結んで、その間にある部分を言葉にしていくような。でもその射程ってのは、普段の日常ではどうしても「近しい」の範疇におさまっている。だから感覚が広がり類推のアンテナが不明方向に伸びる瞬間を見逃しちゃならんのよ。でさ――』

🔔『うわぁ語りはじめた……』

(。-∀-)『ごめん、でもこれが「わけわかんない気持ち」へのアンサーだ。自分ですら「なんとなく……」としか言えないのがクオリアではなかろうかと。だからわかるだろ? 私が「元ネタありき」とか「安易なパロディ」にムカついてんのが。あれは「近しい」の代表例だよ。飛躍の芽を摘まれた哀れに見えるのさ』

🔔『ありがとう先生❗️ あ❗️ お腹いたいから今日はこの辺で❗️』

(。-∀-)『おお、そうか。昨日の肉か? 話というのは過ぎたるは及ばざるが云々だが、まぁいいか』

……

……

(。-∀-)『もしかして……逃げられた……?』

(๑•ૅㅁ•๑)『御高説は矢の如し……だな』

(。-∀-)『えっどういうこと? あ、そうだ。変な読書のやり方を『セルフピグマリオン読書』と命名しよう』






【おまけ短編:ホステスつぐみ】

🔍 ホステス なり方

一通りの勉強が終わったので、つぐみは重い腰をあげて軽い腰にする為にストレッチに励んだ。
家に近いそれっぽいお店を探し、面談を実現すべく電話をした。

prprpr……

「はいもしもし」
『私は……私なりの【アニマ】になりたいんです』
「……はぁ」
『なれそうです?』
「まぁ、はぁ」



【面談当日🐥『ちゅんちっち』】
      ↑すずめ

ガラの悪い稼ぎの悪そうな店長とおぼしき人が対応してくれた。

「いや……ちょっとマテや……」
『はい?』

「男じゃねーかお前⁉️」

『えっと💦……それが?』
「ホステスなんだろ!? 目指してんのは!」

……☕️☕️(揺れるリプトン×2)

『それについては説明させてください。確かに私の生物学上の――は、男ですね。しかし私の中に無意識的に存在する【アニマ】が経験を通しやがて一定の人格を持ち、意識的な切り替えによりホステスにさせます。人格を持ったアニマはやがて新たな【アニムス】を心の隅に描きます。それで――』

「📱アニマ……は異性に投影される性質を持ち、ふむふむ。つまり男のお前が自身をアニマだと思い込み、人格があると仮定し……男性に恋をする……的な?」

『はい。で、やがてアニマはアニムスを形成し、やはり(?)人格を持ちます。人格があるので、新たなアニマを形成……そしてボク、つぐみに恋心を抱く……です』

「その……二段階右折みたいな手法を取る理由は?」

(未完🍊)



【あとがき2】

で、『本来迂遠であるものを同質とみなす』為にはどうするか。これはエッセイ内にあった『現状の認識をし続ける』を利用する。

たとえばそれは、自分の感情の色・温度・形・質感などを 知ろうとする・・・・・・ 心の働きでもあるし、 具体的な表現・・・・・・ として排出する事でもある。

リアルタイムであろうと、過去形の表現物であろうと、心との一致や真偽……に目を光らせておく。この繰り返しの中で地道に磨くしかない。磨かれた感性は、やがで自分すら察知できない『同質』をみいだすだろう。

その飛躍により発生した『距離感』には大きな価値があるのだが、最も説明できない意味不明な領域でもある……が、何かに打ち込んだ人ならピンとくるだろうな。

最後に、私たちは『繋げよう』と意識してはならない。思春期の恋愛じゃねぇんだ、もっと大きく広い部分に対して漠然と構えてなきゃならん。

私はこれからも、たった1人で人の生み出す『意図』に中指を立て続ける。

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