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文章の禁則と俯瞰

『経済ナンチャラ』みたいな広報小冊子を読んでいたら、1ページに『依然として』が4回も登場していた。重複表現を徹底して避ける=素晴らしいとは思わないが、どうしても目につく。

『しすぎだろ!』って。
ちなみに経済への理解は進まなかった。なんか賃上げによる好循環を目指してるらしいが、依然として阻害要因があるとかないとか。

私も最初はこういう細かいルールを知らないまま小説を書いていたので、後でアプリの謎強制終了と戦いながらチマチマ修正していた。普通にキレそうだった。

『……』◀︎これも奇数で使われてるのを見ると『短っ』って感じちゃう。



 『1月はえぇ❗️。』と思ったので、ニ0ニ五年なのに依然として抱負を打ち立ててないので、自分で勝手に決めてきたルールでもまとめようので。思いついた順でいいので、書こうかな…と思います、、、。

🔔『よっ、ので太郎』

(๑•ૅㅁ•๑)『汚ねぇ文章だなぁ』

(。-∀-)『よ〜し、私なりの「チッ、うざっ……」を羅列するぞ〜』

❇︎ もちろん個人的なnote程度なら自由だけども
❇︎ それでも文句が湧くのは さが だけども



その1【常套句について】

『血のように赤い』などのパッと見でありふれてそうな表現が該当する。実際の会話はこういう『人類が築き上げた共通の認識』的なモノを無意識に使ってコミュニケーションするが、表現となれば別。

『月は静かに微笑んだ』……と文章に書いたとして、これは甘え。静かで見守ってくれてそうな月の既にあるイメージに乗っかって甘えてる。言い換えればこれは、表現ではなく借用。
思考の大半は言葉と考えてるので、借用表現が常に待機状態なら根本の思考も型落ちする。それは明確な危惧だと心に据えておくゲームでもあるがな。勿論イメージ的なモノ――たとえば頭の中で四角い箱を段々と積み上げるイメージを浮かべるのは容易で、これも思考とするが私はイメージをセーブ&ロードできないので断片的=思考未満かなと現状みなしている。要するに悲しい消去法であり、絵を生業にするような人は私と真逆の意見かもね。

さて常套句的思考を避ける為、個人主観成分を存分に用い自己表現すべきか――などの疑問が湧くが、自己表現だけが表現ではないし、自己表現が大好きな人ほど大袈裟な常套句を簡単に使ってる印象。あくまで印象ね。
これはAIイラストとかと性質が似てて、『手軽に、借用して、表現可能』ってだけ。成果があるような気になるだろうが、3日目のカレーを食べる頃にはシーザーサラダを欲するのが正常な人間。

『中国語の部屋』っていう思考実験的なのがあるんだけど、部屋に居る男(中国語話者ではない)が指示書に従い中国語の文章を並べ作って部屋の外に投函するって話。指示により文章にはなっているが、男は中国語そのものを理解してるワケではない。これはコンピュータやAIが思考できるかどうかに関わる話で、借用表現というのはこれに近いと思うんよね。結果だけ見れば表現だが……しかし過程にある重大な欠落に目を向けなければならない。

反対の事を言うと、一生懸命言葉を捻り出そうとしてる人を見ると応援したくなる。そして『ありきたりを見せてくれるなよ❗️』と勝手に願う。

そして的確な意図や文脈により、常套句は素晴らしい変容をみせると誰も否定できないであろう。



その2【気どりについて】

これねぇ、イチバン嫌い。
一見ミステリアスだったり、人を惹く要素があるのは理解する。まぁ紐解けば同世代バンドマンに不必要な憧れと肥大した虚像を抱く中学女子程度の感情だろう(あっ、性別による偏見的例えはNGっすね)

それは人間の好奇心を悪用した態度だと思うね。作為的に感じるし、作為なくして表現などできるものか――という反論をする人とは会話ができないと思う。なぜなら私は自意識の制御外にあるナニカを形にするのを目標としてるから。それ以外は基本、ノイズ。

先の常套句云々とも近い。私の嫌いという感情には、通底した『像』のようなモノがあるのだろう。なるべく像を浮き彫りにし、殴り飛ばすのが目的かもしれない。幽霊には銀の武器が効く。

民主主義の矛盾的な話で、幅広い層の総合的意向で政策を決めるより、上級だけの意向を積極的に汲んだ方が結果的に幅広い層が恩恵を受ける……みたいなのがある。まぁ思考の射程の話だろう。酷ではあるが、射程の短い喫緊の悩みを潰す程度で政治は成り立たないのだろう。ルネ・デカルトも景観のチグハグな街を嘆き、1人の職人が全部設計するのを理想としてた……あの感じ。

🔔『ちょっと違う気がする』

まぁえっと……自分ルールとして、あまりに幅広いモノへの迎合は避けるべきと考えている。要するに『別にいいじゃんそんくらい』で済ませず、常に目を光らせておくのだ。家族が袋ラーメンを作る際、まだ沸騰もしてないのに麺を投入しやがる。いかん……いかんですぞ。

家族『変わんないよ、そんなに』
(。-∀-)『(確かに食べ比べた事ないけど)チガウもん‼️』

では……と、更に問題が俎上のメダカ。
『私は袋ラーメンを水から茹でる勇気がない。それは常套句への迎合とイコールではなかろうか』だ。

🔔『う〜ん……』

まずいと思われる物を避ける=常套句を避けると一緒▶︎勝訴

よし。



その3【行末絵文字連発😁🤣😉】

シンプルにキショい。以上。感情論バンザイイェーイ✨



その4【誤用】

未だに『永遠と』という書き方を見かけるが、マジなん? って思っちゃう。煮詰まると行き詰まるを混同してる人とかも……。

誤用の放置ってのは、当然だがその後の対応が大事だ。

『言葉は移り変わるもん❗️』
『これが私のスタイルだもん❗️』
『言論は自由、従って言葉の用法も自由❗️』
『言葉で遊んで何が悪い❗️』

ははぁ、そうですか。
問題はその頑なな態度の根底にあるであろう『納得できる理由』なんよね。じゃないと言い訳になるから。

ねぇ

ねぇ

なぁ……❓

やぁ久しぶり。キミは延々にあの時のままかい?

たとえばさ、昨今の『誰にでも分かる物言いをできる人は頭がいい論』とかさ、読解力の怪しい人のルサンチマンが生んだ虚像じゃねーのとか邪推するわ。自身のいい加減な部分をカバーしてくれる足長おじさんを必要は発明の母よろしく拵えてるだけじゃねーの。

↑皮肉も上手いことやらんと、このようにくどくなるからスマートが理想だね。



その5【くどい】

繰り返し同じ言葉を登場させる事によりサブリミナルなアレが発動するかもしれないが、大抵が冒頭の冊子のように煙たい印象を与える。



その6【飽きた】

小腹すいたなぁ……

ええやんぽっち‼️

わぁーい天才‼️ 2枚目って上手になるよね。




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