副交感神経を優位にしてリラックスしよう❗️
みたいな物言いがあるが、あまりに漠然としてはいないだろうか。ベッドに横たわり、呼吸を繰り返してたら優位になるもんかね?
さて、『外敵の居ないほぼ無制限の安心環境』を獲得したとして、それは幸福(常時副交感優位なリラックス状態)であろうか。私なら堕落の一途を辿る自信に満ちている。何事もバランスなんよな。環境に飼い殺されるなんてゴメンだ。
ここで引用をひとつ。
遊びでもなんでも、没頭に深く関わるのは『時間制限』だと思う。
『あぁ……名残惜しいなぁ』という感覚【こそが】人間の深い安心に繋がるのでは。
そうだな、『瞬間的ノスタルジー』と命名しよう。
🔔『命名好きだなお前……』
更に遊びと同様に『自発的な』という部分も大切で、時間制限しかり『自分で生み出せる』のだ。もちろん厳守しなきゃ効力はないが。
たとえば今、私が『五分以内に名文を生む。できなければそれまで』と企図しよう。
⏰
う〜ん……
決定権というか、フィードバックすら自己判断なら……難しいな。
🔔『名文の定義がね……』
たとえば身近な例として『丸めた紙をあのゴミ箱に投げ入れるゲーム(3回まで)』をするとして……でも短いな。没頭したい以上、ある程度長い時間設定が必要になるな。
(๑•ૅㅁ•๑)『学校から家に帰るまで小石を蹴り続けるやつ』
📱『影の部分でしか息を吸っちゃいけない』
いいねいいね、そんな感じかも。
で、昨今の無数の娯楽がどれだけ『名残惜しさ』に重きを置いているか。反対に『途切れなく意識をさせ続ける』という手法をとっていないだろうか。あるいは小出しのケチ臭い連続した報酬か。
実際、やり口自体は上手だと思う。ゲームとかやっぱ楽しいもんな。
更に重要な概念として、『意味などない』を念頭に置かねばならない。金や損得が関わると……これはもう『薄汚れてる』としか表現できないな。行為自体が目的であるのは大前提。
私にとっては『こういうエッセイを考える事自体』がソレに該当するし、遊びでもある。
時間的な意識は『今日書けるモノは今日しかない』というぼんやりとしたモノだが。
書く▶︎書くの楽しい!(完)
実際はごく細かい部分で『意図や目的』を持ってはいるが、煙のように不確実なのでナシとしよう。
『文章で人を感動させたい』とか言ってる人を見ると『ジャングルジムで遊ぶだけでお小遣いを得たい』みたいに映るんよね。ばーか、まずはお前が心の底から集中して楽しむ事を考えろや。先の全ては後から認知される副産物だろうが。
不思議なもんだよな、『没頭して消し飛んだ時間が多いほど人間は居心地がいい』って性質を持っているように思う。じんわり温かい『この世界に存在していい感』が滲んでくるんだ。
私が地味に好きな瞬間がさ、仕事中に『昨日クリアできなかったあのステージ(ゲーム)、こうすれば楽勝なんじゃないか⁉️』って妄想してる時なんよ。
この感覚を詩作とかに応用するなら、『この心を言葉にするのなら、こういうやり方がいいんじゃないか⁉️』ってもんか。楽しいよ、ほんと。
加えてそん時の気持ちってそん時しかないから、自ずと時間の概念が出現するんだよね。
こういう一連の考えが、能動的な趣味をオススメする理由なんだ。
深い没頭的な自分ルール遊び
あとはコーヒーと、ふかふかのベッドぐらいか、必要なもんは。それ以外は季節の流れとかをぼんやり眺めとけ。
ヨガや瞑想も根強い人気だが、やっぱ人間、ああいう時間を得たいのだろうな。もちろんああいうのも『もうちょいやりたいな……』で止めるべきだ。
続きはまた、明日。
人間は決して、自由な時間が沢山あるから嬉しい――のような生物ではないのだよ。
【余談】
『ただのぼやきです』と前置きし、暗い記事が公開されたとしよう。
そしてだれかが『大丈夫ですか?』とコメントをする。
更に『ありがとうございます😭 ○○が■■で〜』と返信したとする。
まぁ実際にあるケースだが、これって何かおかしくない?
何がおかしいかは、各々の思考に判断を委ねるが。