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文章と『出過ぎた意識』

文章に対し『あたたかい』とか『透明感のある』とかの感覚を抱く事がある。その感覚は大事にすべきだ。

私は水がギリギリまで注がれた筒のような存在です。これ以上水が入る余地はありません。
しかし『一部交換したいな』と思うことはあります。

火に手をかざすと落ち着きますよね。
文章を書いてると落ち着きます。
つまり火=文章であり、世界一拙い三段論法が完成しました。

意識というのは、『特定の枠内の〜』という性質のソレかもしれないです。そして皮肉にも、大抵の人は枠内の文章を望みますし、売れます。
特殊な環境で育ったとか、親がヤバイとか持病が云々の。成功者の体験も加えておこうか。

成功というのは、何かを強く否定することにより達成できる気がするんだなぁ。狭き門だから、仕方ない。

……年末の雰囲気は嫌いだ。不安だし、早く過ぎ去ってほしい。

そうだな、文章を書いてると、より不安が助長されることもある。それでもやめられない。

私はね、素朴な人が周りに居なくて気持ち悪いんだ。自分だけが何かを我慢してて、尚且つ偉いから人にお説教する権利があるように勘違いしてる。だから安心というのは自分で生み出すしかないのです。毎日安心がチビチビ供給されないと、辛いのです。

ネット上でも悩みを抱えた風な人が励ましの言葉的なのをいただき、ありがとう元気になっただの言っていますが、そんなもんかね?

言い換えると

『そんな不確かな供給や一時的な励まし程度で感謝の念が湧くならそもそも大した悩みじゃなくない❓』

――ですかね。
いや、ほんまはわかるよ? 嬉しいよね。
けど捻くれた見方をすれば、結局プラスの感情が追いつかねーんじゃねぇの? って邪推しちゃう。

『人の言葉ありき』の悩みを抱えているなど……

たとえば腰というのは、一度やらかすと一生の付き合いになります。いくら他人が『腰大丈夫? 辛いよね?』などと言っても変わりません。
心にも、そういう割り切りが必要だと思うんです。必要なのは、なるべく再発しないような自身の微調整だけだ。

嬉しい言葉を言われたら嬉しいのは理解するよ。けどな、嬉しい言葉を言われないことに『不満』を感じ始めたらどうなのって。タチの悪いかまってちゃんの完成だよ?

『心配ない、気にするな』

って、言えないもんかな。
他人が聞いて辟易するようなことを『言わないでい続ける人間』ってのを目指すの、いいかもね。

その為には❗️

って思考にシフトしますよね今度は。
これはまぁ簡単で、各々が不満に対する穴埋めという形式だろうが、ゼロに対するイチみたいだろうが、何らかを自給自足するしかない。し続けるしかない。

『○○という結果を出したから私は〜』とかじゃなくて、炭酸飲料の缶のプルタブを僅かに開けて振った時のように、ジワジワ漏れ出てきて吸う! みたいな。

こういう意識状態になると、反対に他人の言葉とか評価が邪魔に思えてくるんですよね。ゆえに24時間『あ、気にするな』って心理ですよ。

しかしこの状態でも、全てを許すワケにはいかないし、全てを受け止める器量があるワケでもない。

だからこそ、『この文章ならギリギリの水に取り入れて循環させてもいいな』って発想になるんです。

で、代表的なダメな例が『気どった文』とか『自分面白いっしょw』とか『こんな私……素敵でしょ?』みたいな文章。

まとめてくたばれ

反対にいい文章は、なんだかすぐに忘れちゃうような文章。そんで後々思い返して『やっぱいいなぁ』って感じる文章。静かなんですよね。

だから思惑のやかましい文章に宣戦布告をし続けるのです。

たとえるなら、お腹いっぱいの時に最近趣味で始めたというお菓子を持ってきて封を開け食べることを強要し、両手で頬杖つきながら目の前で感想を心待ちにされてる状態なんよね。

そんなんさ、『まぁ……おいしいよ』って言うしかないじゃん。ズルいよ。ズルをしてまで自身に言及してもらおうなんて、尚更ズルいよ。

理解できそ?

まぁ、お好きに。野暮という概念を知らんワケじゃあるまいし、各々の匙加減なんだけどね。逆にさ、気どったキショい文章が好きって人は、どんな文章が嫌いなんだろうね。気になる〜。

『月陰る夜空に貴女を重ねる』みたいな賞味期限切れの恋文のような気どった文を、歓迎できる理由があるか? まったく出来過ぎた主人公だこと。思い出の美しさという性質を逆手にとった悪行にしか見えんのだがね。

おっ、雲海が散ってきたな。

なんだか私の、ココロというか心象風景と重なってるようで、ミヤビだなぁ



今回のエッセイは意識の方向や強さについて書いている。非常に曖昧な部分だ。

意識というのは前提(環境や状況や諸知識)や、文章を書く目的そのものか。今までという『前提』の最先端に居る自分が、目的を持って書く……一見すると『他に方法が?』と思われるかもしれないが、私は文章をそれだけにとどめたくない。

加えてな、呪いなんだよ目的は。

仮に『面白い文章を書こう』と思い立って、実際に書く。そして『面白かった(笑った)』と言われたとする。この先は想像できるし、私だったら疲れそうでやだなぁ。

あ、でも私も一緒か。
文章を書くってのは、おそらく大体甘い汁が出る媒体を用いている感覚だし。さながら私は虫であり、たまたま樹液の出る木を知ってるだけだな。

えらそ〜なこと言って、ごめんね〜。

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