親父とオカンとオレ 12〜2001年アジア放浪記 一 〜
会社を一緒に辞めた先輩と旅に出る話を書こうと思う。
21歳にして退職金を200万円ゲットした話は前に書いた。
当時の僕は、お金をあまり使うことがなく、世間知らずで、200万円もあれば、一生暮らせるのではと、勘違いしているアホであった。
退職して2〜3日後、先輩のいる鶴見寮へ遊びに行った。
一緒に辞めた先輩の佐藤さんを訪ねて行ったのだが、同じ職場で働いていた同期の西畑君と出くわした。
彼は夜勤明けで、今帰ってきたところだという。先輩の佐藤さんを誘い、
「ビール片手に風呂でも入ろうか!」
と朝から3人、缶ビールを買った。
この鶴見寮には温泉旅館のような大浴場があり、けっこう広い。
そこで湯船につかりながら、ビールを飲んでいると
「海外に興味あんねんな〜、俺と一緒に行かへん?」
と先輩が話しかけてきた。
すると、会社を辞めていない西畑君が興味をしめして
「僕も一緒に行きたいです」
と言い出した。先輩は少し困惑ぎみに
「1ヶ月ぐらい行くねんで」
と彼を牽制してみたが、西畑君は余程、行きたいのか、
「ん〜、有休を全部使えば、なんとかなると思います」
と真剣に悩んでいる。その彼の横顔を見ていたら、僕も海外旅行に少しだけ興味がわいてきた。
「とりあえず2週間ぐらいなら、行ってもいいっす!」
と3人で行けば、絶対楽しい旅行になると、その場はおおいに盛り上がった。
それから何日かして、パスポートを取りに佐藤さんと出かけた。
「西畑君どうしてます?」
と聞けば、あの日以来、彼との連絡が取れないらしい。
しかも会社を無断で休んでおり、会社の人間が西畑君を探し回っているという。
事件に巻き込まれたのでは、と心配になり、僕もすぐに電話をしたが
「電源が入っていないか、故障しているためつながりません」
とアナウンスが流れるだけであった。
数日前、一緒に海外へ行こう、と目を輝かせていた彼はどこに行ってしまったのか。
西畑君が失踪してから2週間くらいして、僕らはチケットを手に入れた。
チケットの話は前に書いたが、東南アジアのタイに10日間の旅へ出ることになった。
先輩の佐藤さんはスナフキンという、ムーミンのキャラクターが大好きらしい。
そのスナフキンになりたいという願望が強すぎて、ドンゴロスの形をした大きな袋を肩に担いで現れた。
その袋にはポケットがなく、パスポートや財布が着替えや洗面道具などと一緒くたに入っている。
買い物の時など、袋の中身を何度も探しまわる、不便極まりないものであった。
僕も初めての海外旅行ということで、何を準備するのか分からず、川崎市の図書館で「地球の歩き方」という本を借りた。
先輩からの助言で
「とにかく新しい服やカバンは、貧しい国では狙われるから、やめた方がいい」
と言われたが、その本にはそんなことはどこにも書いていなかった。
しかし、僕もボロボロのリュックに、古いジャケットの格好で旅に出ることにした。
灼熱の太陽と蒸れるような湿気が僕らを包み込んだ。
2人は初めて日本から飛び出して、東南アジアのタイ王国に降りたった。
ムッと込み上げてくる熱気に、着ていたジャケットを脱ぎ捨て、空港の外に出た。
するとバイクタクシーやトゥクトゥクのドライバーらしき男たちがやってきて
「どこに行くんだ、俺の車に乗れ!」
と執拗に付きまとってくる。
僕らは、バンコクの市街地へ行く乗合バスを見つけて、なんとか乗ることが出来た。
当時は2001年の冬である。その頃のタイは通貨危機の影響でバーツが暴落しており、何を買っても安いイメージがあった。
僕らはバンコクのカオサン通りにある安宿に泊まった。バックパッカーと呼ばれる宿で、2段ベッドが4つ並んでいる。
その部屋には最大8人が寝ることになる。
到着した日、その部屋は佐藤さんと2人だけであったが1泊150円という衝撃的な値段に驚いた。
晩飯を食べようと外に出ると、色んな屋台が並んでおり、僕らは、
「焼きソバとビール2本」
ジェスチャーのみで注文した。合計は、たったの100円。
その焼きソバは、クソまずいのだが、この値段で文句を言えるわけがなく、ビールで一気に流しこんだ。
今回はここまで。続きを明日の投稿に書こうと思う。
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