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山師の仕事⑦

2004年に徳島の山奥、祖谷(いや)という村で山師の仕事をはじめた。この年の10月に新潟県中越地震が発生して68人の方が亡くなられた。

今回は集材機(ウインチ)を使った架線集材の作業について書こうと思う。

索張り(さくばり)を終え、これから丸太を集める最初は危険が多い中でも、特に緊張する時間である。

無線のトランシーバーで、ウインチを操作する山師のシゲさんとプロセッサという重機に乗る親方、荷掛けの僕が声を掛け合う。

「おろしてー!」または、「下げー」

と言うだけで近くまで来た搬機が止まり、それについている滑車とワイヤーが降りてくる。

そして倒れている丸太をワイヤーで結んで、合図を送る。

「上げ〜」

とこの言葉1つで丸太は宙に浮き、搬機に吊られて土場まで一直線に運ばれる。

土場には親方がプロセッサという重機に乗っており運ばれてきた丸太を造材する。

「昔は、一本一本、手で寸法してチェーンソーで切っとったんやで」

と親方はこのプロセッサーが林業のやり方を変えたと言っていた。50年生の杉は25メートルくらいあり、4メートルで玉切りしたら5本は取れる(先端の部分は細いので切り捨てる)

この作業をユンボのグラップルとチェーンソーでやっていたら、2人で30分ぐらいかかってしまう。もちろん枝払いもしなければならない。

それをプロセッサーは30秒でやってしまう。林業界の革命が起きたのだ。

話を僕の担当する荷掛けの作業に戻そう。木を切り倒した山の斜面は非常に歩きづらい。しかも立木があれば、木陰で休むこともできるが、皆伐なので、砂漠のように日陰がない。

冬でも山の直射日光は、まあまあ暑く感じるので、真夏の集材は死ぬほど暑かった。あと虫をはじめ、蛇や蜂との闘いでもある。

そんな中、マムシが出ればラッキーと思うようになった。ウインチ乗りのシゲさんがマムシの捕まえ方を教えてくれたのだ。

頭が三角で灰色のしま模様が特徴のマムシは生きたまま捕まえて、ペットボトルに入れて持って帰る。そして2週間、水だけで飼育する。

その間、毎日水の交換をしてマムシの体内を綺麗にしなければならない。ちなみにマムシは1ヶ月でも水だけで余裕で生きている。

2週間後、焼酎の一升瓶にマムシを移したらマムシ酒の出来上がりである。これが1万円から2万円で売れた。

2,000円の焼酎が2万円になるので、マムシを見つけては必死で捕まえるようになった。

「拓よ〜、水を換えるときは気をつけなやー」

とシゲさんに注意を受けていたが、ペットボトルの蓋を外し、水を棄てる隙に台所で逃げられたこともある。

その日の晩は、寝る前にベットの周りにマムシがいないか気になって仕方なかった。そして酔っ払った状態で水を換えるのはやめようと心に誓った。


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